「先生,△△さんの定時採血,毎日出していたんですけど……」
第1回・第2回に登場した,80歳代女性の市中肺炎を担当した研修医が,また院長室にやってきた。今度は少し困った表情だ。
「先生,ちょっと相談していいですか? 〇〇さんが退院されてから別の入院患者さんを担当しているんですけど,定時採血をどうするかで悩んでいまして」
「うん,聞かせて」
「指導医の先生から,『この採血,本当に毎日必要?』と聞かれたんです。でも,なんて答えていいかわからなくて。『何かあったらいけないから』『習慣的に出しています』としか言えなくて……」
私は微笑んだ。「いい疑問にぶつかったね。実はその『なんとなくの毎日採血』が,君の病院の収支を確実に削っている。そして患者さんにとっても,必ずしも『安心』とは限らないんだ」
研修医は驚いた顔をした。
「今日は,その話をしよう。採血と,DPCと,EBMの三角関係について」
1 採血は「ほぼ包括」,つまり病院の持ち出し
第1回で見たように,DPCでは検査・処置の大部分が「包括」に含まれる。そして,研修医が日常的に出す採血─末梢血一般,生化学(AST,ALT,BUN,Cr,Na,K,Clなど),CRP─これらはほぼすべて包括の中に入っている。
つまり,何回採血しても,病院の収入は1円も増えない。一方で,コストは確実に発生する。
具体的に何がコストになるか,見てみよう。
・試薬・検査委託費用:1検体当たり数十円〜数百円
・採血手技:看護師の時間(約5〜10分)
・検査技師の作業時間:検体処理・分析・報告書作成
・消耗品:スピッツ,ラベル,針,駆血帯
・検査機器の減価償却・保守費用
これらをすべて合算すると,一般的な定時採血セット(末梢血一般+生化学7〜10項目+CRP)で,1日当たり数百円〜千数百円規模のコストになる。
「数百円なら大したことのないように見えますが……」と研修医が言った。
「それが,積み上がると大きいんだ。たとえば10日間入院する患者さん1人で,コストだけで数千円から1万円超。これを病院全体で見れば,年間入院延べ患者数を掛けると,年間で数百万円規模の『見えない出血』になる。しかも,その『出血』は1円も収入を生まない」
「DPCのもとで,検査を漫然と出し続けるということは,病院から少しずつお金を捨てているのと同じなんだ」
2 「とりあえず採血」の3つの落とし穴
しかし,ここで強調しておきたいのは,「採血を減らせ」という話は経営の話だけではないということだ。「とりあえず採血」という習慣には,3つの大きな落とし穴がある。
落とし穴①:経営の落とし穴
先ほど述べた通り,過剰な採血は,収入を増やさず,コストだけが膨らむ。1患者で数千円,病院全体で年間数百万円規模の「見えない出血」になる。
落とし穴②:医学の落とし穴
これが研修医のみなさんに特に知ってほしい話だ。
偽陽性の問題:血液検査の基準範囲は,健常者の95%が入る範囲として設定されている。つまり,健常者でも5%は基準範囲から外れる。検査項目を1つ増やすごとに,偽陽性の確率は上がる。
具体的にどのくらいかというと,健常者に20項目の検査をすれば,統計学的に約1項目は『異常値』が出る。
そして偽陽性が出れば,追加検査の連鎖が始まる。「ALTが少し高いから,もう少し詳しい肝機能検査を」「白血球数が少し増えているから,感染症の精査を」─本来不要だったかもしれない検査が,雪だるま式に増えていく。
さらに深刻な問題は,臨床判断が鈍ることだ。毎日の採血データに頼りすぎると,診察・問診・身体所見の重要性が薄れる。「数字を見て判断するクセ」がつくと,患者さんの全体像をとらえる力が弱くなる。これは若手医師のキャリア形成にとって,決して良いことではない。
落とし穴③:患者の落とし穴
そして,最も大切な視点─患者さん自身への害だ。
穿刺の苦痛:特に高齢者は血管が脆く,繰り返しの採血は痛みと不快感を与える。何度も針を刺される患者さんの気持ちを想像してみてほしい。
医原性貧血(hospital-acquired anemia):これは多くの研修医が知らない事実だ。毎日の採血そのものが,患者さんを貧血にする。
具体的な数字を挙げよう。
・一般病棟入院患者で,診断採血による血液損失は1日約12mL1)
・ICU患者では1日40〜50mL,入院全期間で最大1Lに達するケースも2)
・1mLの採血ごとに,平均0.07g/dLのHb低下3)
・ICU入院3日目までに,約90%のICU患者が医原性貧血を発症するという報告4)
・急性心筋梗塞で入院した患者のうち,入院時に貧血のなかった患者の20%が,入院中に中等度〜重度の貧血を発症1)
つまり,「念のため」と思って毎日採血を続けることが,患者さんを徐々に貧血にしているのだ。
「血液は,検査室ではなく,患者さんの体の中にあるべきもの」─これは,米国血液銀行協会(Association for the Advancement of Blood & Biotherapies:AABB)が掲げる「Blood Belongs in the Patient」というスローガンだ2)。本当にその通りだと思う。
そして,不眠・ストレスもある。早朝採血で起こされる,頻繁に針を刺される,痛みと不快感が続く─入院中の患者さんの心身の負担を,私たち医療者は時に過小評価しがちだ。