最近、若い先生と話していると、海外研究留学への関心は依然として高い一方で、それを阻む壁の高さを考えさせられることが増えました。円安とインフレのダブルパンチは、留学費用を大きく押し上げ、留学の機会が一部の層に偏る傾向を懸念する声も聞かれます。米国留学にしてもJ-1ビザ取得に必要な経済証明のハードルは高くなり、「留学に行く」という段階で、様々な工夫や支援を模索する必要性が増しているように感じます。
無事に留学をはたしても、帰国後のキャリアパスが保証されているわけではありません。「留学帰り」という肩書が必ずしも有利に働くとは限らず、ポストが見つからない、あるいは日本の組織文化に再適応できずに苦労するという話も耳にします。留学が、キャリアの停滞や中断リスクといった無視できない現実があります。しかし、そうした困難を乗り越え、留学経験をバネに国内外で活躍している医師も数多く存在します。
彼らを惹きつけ、困難に立ち向かわせるものは何なのでしょうか。それは、やはり海外でしか得られない「何か」があるからでしょう。最先端の研究スキルや知識、多様なバックグラウンドを持つ研究者たちと切磋琢磨できる環境への渇望は、今も昔も変わりません。国際的なネットワーク構築も重要で、私自身も、留学中に築いた人脈が、その後の研究活動にどれほど役立ったか計り知れません。
そして、異文化での経験を通じた「人間的な成長」。これは、非常に大きな価値があります。2018年に渡米した際、今ほどの円安ではありませんでしたが、それでも言葉の壁や経済的不安はありました。しかし、米国でAIを用いた研究を学び、多様な文化や価値観に触れた経験は、研究者としてだけでなく、1人の人間としての視野を大きく広げてくれました。これは、日本にいただけでは得られなかったであろう「宝物」だと確信しています。
「今は情報ならオンラインで十分」という声も聞かれます。確かに論文は読めますが、それは留学の価値のほんの一部でしかありません。異なる文化やシステムの中で、試行錯誤しながら研究を進める「実体験」、トップランナーたちの思考プロセスを肌で感じる経験、予期せぬ出会いから生まれるアイデア、これらはオンラインでは代替できません。むしろ、グローバル化が進み、均質化しがちな現代だからこそ、異質な環境に身を投じる経験から得られる「暗黙知」や「実践知」の価値は増しているのではないでしょうか。
問題は、この価値ある経験へのアクセスが、経済状況や国内のキャリア環境によって不当に制限されつつある現状です。留学を単なる「個人の自己投資」や「贅沢」と見なしてよいのでしょうか。優秀な若手医師が海外で得た知見やネットワークを、帰国後に活かせない日本の組織の硬直性や受け皿の不足は、国全体の損失ではないでしょうか。
このままでは、日本の医学・医療分野における国際競争力の低下は避けられないでしょう。留学の価値を再確認するだけでなく、若手医師が安心して挑戦し、その経験を日本に還元できるような環境を、国として、組織として、そして我々自身がどう再構築していくべきか。円安という逆風は、私たちにその本質的な問いを突き付けているように思えてなりません。
鍵山暢之(順天堂大学大学院医学研究科循環器内科学教室准教授)[研究留学][円安格差][キャリア停滞][国際競争力]