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【識者の眼】「救急・集中治療終末期ガイドライン改訂⑧─moral injury/moral distress」伊藤 香

No.5241 (2024年10月05日発行) P.60

伊藤 香 (帝京大学外科学講座Acute Care Surgery部門病院准教授、同部門長)

登録日: 2024-09-19

最終更新日: 2024-09-19

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少し前のことになるが、2023年1月にサンフランシスコで開催された米国集中治療学会学術集会(2023 Critical Care Congress)に参加した際に、集中治療医療従事者の“moral injury/moral distress”に関するセッションを聴講した。“moral injury”とは、外的要因(緊迫した状況、制御不能な状況、破綻したシステムなど)と内的要因(道徳的に誤っていると思うことを実行する、または防止できない、またはその目撃者となること)から構成される“potentially morally injurious events”によって引き起こされ、人間の苦しみや残酷さを直接目の当たりにして生じる、深い心の傷のことである1)2)

“moral distress”は、外的制約(置かれている状況、法律、看護/病院の管理または方針)または内的特性(もともとの道徳的なことに関する感受性、脅かされた道徳的価値、妨げられた道徳的行動、無力感)によって引き起こされる葛藤のことである。“moral distress”は心理的不均衡と否定的な感情状態(他者を非難する、自己を責める、うつ、不安、困惑、苦悩、皮肉)をもたらし、患者ケアにも悪影響を及ぼす可能性がある(ケア提供能力の喪失、誠実さの喪失、価値観の裏切り、倫理的実践の全体的な妨げ)。その結果、仕事への満足感の低下や燃え尽き症候群につながり、最終的にはその離職につながることもあると言われている。

集中治療医療従事者のmoral injury/moral distressは、米国では新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミック時に医療資源の配分をせまられた状況の中でクローズアップされるようになったようだ。パンデミック時にかかわらず、重篤な患者の困難な病状や死に、日々対峙する集中治療医療従事者が、日常診療でmoral injury/moral distressを経験しやすいであろうことは想像に難くない。

筆者が集中治療終末期医療に関心を持つようになったのは、米国で外科集中治療フェローシップを終えて帰国したときのことだ。学んできた臨床倫理の知識や経験に基づき、患者・家族らの価値観に沿った治療ゴールの設定を行っているにもかかわらず、結局、患者・家族の望まぬ侵襲的な治療をやめることができなかった。結果的に、望まない形でお亡くなりになってしまうという経験を重ねたことが、自身にとってのmoral injury/moral distressにつながったように思う。

実際、集中治療終末期医療に関する学会活動などを通じてお会いする方々は誰しも、すくなからず筆者と同じようなmoral injury/moral distressを臨床現場で経験したことがきっかけとなり、この分野に注力されているように見受けられる。改訂版ガイドラインでは、患者の価値観が尊重され、患者・家族にとって最善の集中治療終末期を現場で実践できるためのガイドラインになることが第一義である。その一方で、集中治療医療現場で高い倫理観を持って懸命に患者と向き合う医療従事者が、moral injury/moral distressで燃え尽きてしまうことがないように、医療システム全体で向き合うためにも活用して頂けるものにしていきたいと考えている。

【文献】

1)Čartolovni A, et al:Nurs Ethics. 2021;28(5):590-602.

2)Mantri S, et al:J Relig Health. 2020;59(5):2323-40.

伊藤 香(帝京大学外科学講座Acute Care Surgery部門病院准教授、同部門長)[moral injury][moral distress]

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