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【緊急レポート】能登半島地震:JMATとして現地入り―「地域医療を取り戻す」ため継続的に支援

No.5206 (2024年02月03日発行) P.33

横倉義典 (福岡県医師会救急災害医療担当理事)

登録日: 2024-01-23

最終更新日: 2024-01-23

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令和6年能登地震にてお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまにお見舞い申し上げます。

今回の地震は、元旦の夕刻という家族が一番ゆっくり過ごしている時刻を襲った非情な災害でした。私たちの活動とともに災害支援についてご報告します。

元旦の地震発生後より福岡県医師会の担当理事として、事務局と連絡を密にするとともに日本医師会や県庁との情報共有を図っていました。九州ということもあり、どのような支援を行うか模索していたところ、医師会で動きがありました。1月5日昼頃に県医師会事務局の担当職員から「日本医師会から全国にJMAT派遣の依頼通知が出る」との報告がありました。県医師会の会長、副会長、専務理事との協議で福岡県としてすぐにでも対応する旨を返信したところ、夕刻には「翌日から活動してほしい」との連絡が入りました。派遣チームの編成と同時に、事務局に交通手段や宿泊場所の確保を依頼しました。

1月6日早朝に自院を出発し、午前720分発の飛行機で一路石川県に入りました。全国の医師会が支援活動を行っていますが、今回福岡県医師会のチームが石川県外のチームとして初めて被災地入りしたと言われました。

これには複数の要因が関わっていました。まず、福岡~小松間の飛行機が通常運行していたこと、そしてわずか1時間半で石川県に到達できたこと。また福岡県医師会は2017年に地元の第一交通産業と災害時の協定を結んでおり、災害時に全国の協定があるタクシー車両が移動手段として協力して頂けることになっていました。石川県にもこの会社があり、車両も即時対応して頂けたので、短時間で石川県内を移動し支援に入れました。

私たちが支援にあたったのは1月6日から9日にかけてです。被災地の状況は、半島にのびる道路が損傷を受けており、交通可能な道路に車両が集中していたため大渋滞が起こっていました。また地域内の道路が、道路自体の破壊と道沿いの家屋や斜面が崩落している影響で通行が容易でないという状況でした。電気は比較的復旧していましたが、水道が一切使えず、携帯電話の電波もあちこちで遮断されました。活動内容としては避難所の確認とスクリーニングが主たるものでした。

今回の震災は、支援に入るルートが限られたため、発災からの時間経過と支援が届いてからの時間経過にかなりの差が出ています。多くの地域でなかなか支援の手が届かない状況が続いています。また生活インフラの破綻から、安全に生活できる環境の維持が困難を極めています。特に水や下水排水などの使用制限は、手洗いや歯磨き、入浴からトイレに至るまで衛生環境の確保を困難にしています。

現在は2次避難が進められていますが、もともと地方に残って生活していた人々にとって住み慣れた地域から離れることは容易ではないでしょう。さらに子供たちも学習環境のために移動していますが、親元を突然離れての生活は、遠方の学校を選んで覚悟を決めて行く場合と異なり、精神的な負担と影響が生じるのではと心配しています。

これからの支援活動は、地域の生活再建までの長い道のりになります。日本医師会の災害支援の目標は「被災地に地域医療を取り戻す」となっています。医療支援や健康管理だけでなく、被災地の医療機関や医師会、行政への支援など多岐にわたります。私たちは全国の医師会と協力して継続した支援を行いたいと思います。今回の被災地支援で改めて感じたことは、日本は島国で周囲を海に囲まれているため、陸からのアクセスが困難な場合は空からだけでは限界があり、海上からの支援も重要であるという点です。

北陸のすべての被災者の皆さまに1日も早い平穏が訪れることを祈念して、これからも支援を継続していきたいと思っています。

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