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【識者の眼】「『高い倫理観』ってなんだ、それ?」小野俊介

No.5183 (2023年08月26日発行) P.64

小野俊介 (東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)

登録日: 2023-08-09

最終更新日: 2023-08-09

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たとえば製薬企業に不祥事があったときや、治験中の新薬の有害事象で被験者が重篤な健康被害を受けたとき、企業はこんなプレス発表をすることがある。

「当社は、引き続き安全性に十分配慮し、『高い倫理観』を持って、医薬品の研究開発・製造販売を行ってまいります。」

企業のホームページを覗くと、どの会社の看板も「高い倫理観」だらけ。「その『高い倫理観』って何ですか?」と尋ねたくなるのは私だけではあるまい。倫理に「高い」とか「低い」とか、あるのだろうか。カントの義務論は「高く」て、リバタリアニズムは「低い」とか。ノージック先生が激怒するかも(笑)。

薬のリスクベネフィットを論じる際に、いきなり天秤の絵を持ち出すのが製薬業界人(産官学)の特徴である。判で押したように、棒手振り(江戸時代の魚や野菜の行商人)の担ぐ天秤にリスクとベネフィットを載せようとする。が、ちょっと待って。今あなたが論じている大切な何かって本当に天秤皿に載せられるの? その大切な何かをリスクとベネフィットのどちらの皿にどう載せるのかは誰がどう決めるの? そもそも「どちらか、重たいほうが勝ち」という判断基準って誰が正当化したの? どうやらこの人たち、棒手振りリスクベネフィット自体が怪しい倫理観に依っていることをまるで理解していないように見える。この手の人たちに「倫理」をまっとうに論じてもらうことは難しい。

業界人向けの研修で「激しく高薬価な新薬を我々はどう受け容れる・拒絶するべきか」といった課題を出すと、相当に薄っぺらい議論に終始することが多い。曰く「医療費を適正化すべき」「費用効果分析が必要」「国民のヘルスリテラシーを向上させるべき」……どこかの業界紙で見たような提案が並び、最後に「倫理的な配慮も必要」と、おまけのように付け足して下さる。ありがたいことである。

倫理は、ビジネスや政治や法律の最後につけ足されるおまけではない。ありとあらゆる論点について必ず一番初めに来る何かである。それに気づけない製薬業界人に明るい未来はないと思う。

企業の不祥事や患者の健康被害が生じたとき、何も考えずに「高い倫理観」などという意味不明な言葉に逃げる会社は、きっとまた同じ過ちを繰り返すはずである。言うまでもなく、会社の社長さんがまず語るべきは「倫理観の高低」などではなく、それが「どんな倫理なのか」である。

小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[倫理][リスクとベネフィット]

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