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【識者の眼】「日本で難しいヘーゲル的議論」岩田健太郎

No.5168 (2023年05月13日発行) P.64

岩田健太郎 (神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)

登録日: 2023-05-02

最終更新日: 2023-05-02

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前回、「コールセンター」の問題が繰り返されているという話をした。すると関なおみ先生から反論を頂いた(No.5166)。コールセンターは困難を踏まえて進化し続けており、「同じことの繰り返し」ではないというのだ。内容についてはぼくが知らなかったこともあり、とても勉強になった。ご指摘と、妥当な反論にこの場を借りて御礼申し上げる。

意見するとは「反論される可能性を了解している」ということだ。意見は言いたいが反論はされたくないという人は意見を言わないほうが良い。

反論があってこそ議論は成熟し、深化する。ヘーゲルの「アウフヘーベン」とはそういうことだ。aufhebenというドイツ語は「上げる」という日常語だ。日本語では「止揚」なんてイカメシイ訳語を使うから、近寄りがたくて仕方がない。まあ、医学領域でも「業界用語」使いすぎて一般の人に分かりづらい問題はアルアルなんだけど。できるだけ普通の人がしゃべるようなしゃべり方で医学を語るべきだ。

閑話休題。

ある意見があり、反論が封じられてしまえばその意見には進歩は生じない。反論があるから「なるほど、ではもっとマシな見解を」となるから進歩する。これがテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼで、議論はより高いレベルに「アウフヘーベン(上がる)」わけだ。ヘーゲルの書いているものはクソ難しいけれども、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ、アウフヘーベンは少しも難しくない。このプロセスが「弁証法」なのだが、そもそも弁証法という言葉もカタい。これもDialektik、つまりは「対話」という意味だ。対話でいいじゃんか。

しかし、日本ではアウフヘーベンするような対話は難しい。「反論」されるとその人の人間全体を否定されたかのように傷ついたり怒る人が多いからだ。「コト」の議論を「ヒト」の議論に安易に置換してしまうからだ。よって日本での「対話」ではアウフヘーベンは起きず、単に合意を形成するための空気の醸造しか行われない。だから議論に進歩はないし、失敗が起きても誰も修正しない。

そこでは異論を唱える者は「空気の醸造」には邪魔でしかない。そういう組織は反対者を排除するしかない。クルーズ船から追い出されるわけだよ。

同じ意見の集団が、異なる意見の集団を罵倒し分断するだけの分断社会に日本は突入しようとしている。前進の可能性が低いプアな選択肢を敢えて選ぶ必要があるだろうか。本当の「対話」の意味をいまこそヘーゲル的に学ぶときである。

岩田健太郎(神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)[弁証法]

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