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【識者の眼】「がんの病名告知と余命告知」天野慎介

No.5152 (2023年01月21日発行) P.62

天野慎介 (一般社団法人全国がん患者団体連合会理事長)

登録日: 2023-01-10

最終更新日: 2023-01-10

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私が悪性リンパ腫に罹患したのは2000年である。当時、私が治療を受けた血液内科では、私も含めてがんの病名告知が行われていたが、診療科によっては告知が行われていなかった。非告知であるとなぜ私が知っていたかというと、私が接した非告知のがん患者さんたちは、自分が非告知であると気づいていたからである。

同じ病室にいた高齢の男性がん患者さんは、ある日ベッドサイドに来た主治医に「俺はがんなんだろう?」と詰め寄っていた。黙り込んでしまった主治医に「別に俺に本当のことを言わなくてもいい。でも俺が気づいていることは、家族には絶対に言わないでくれ」と懇願していた。主治医も家族も、そして患者自身も、お互いに良かれと思って互いに沈黙し、そして互いに苦しんでいた。

あれから20年が経過し、がんの病名告知は当たり前となっている。沈黙による苦しみはなくなったかもしれないが、病名告知を受けたがん患者の精神的な衝撃は未だに大きい。そして、がんの病名告知が行われるようになったことで、がん患者に余命告知が行われることも増えている。

病名はある程度の確からしさをもって伝えることができるが、余命はあいまいである。医師の経験に基づく推量、あるいは臨床試験等の生存期間の中央値などをもとに伝えられていると思われるが、後者にしてもあくまで中央値でしかない。しかし、患者にとってはある種、変えることのできない運命の宣告であるかのようにとらえられてしまう。果たして、余命告知は意味があるのだろうか。

20年前のある日、同じ病室にいた別の高齢の男性患者さんが「俺のがんがどれくらい治るのか、インターネットで調べてくれよ」と言ってきた。私はパソコンで調べて、強烈なショックを受けた。あるがん専門病院での治療成績が掲載されていたが、生存していた患者さんはおよそ500例中5例と記されていた。私は「すみません、調べましたけどわかりませんでした」と話した。

患者さんはその後手術を受けたが、手術の合併症で長期にわたる入院を余儀なくされた。患者さんと年賀状のやり取りを一度したが、翌年は返信がなかった。もし私があのとき調べた結果を伝えていたら、患者さんは大変な衝撃を受けただろうし、医師や家族が伝えるべきことをなぜお前が伝えたのか、と責められただろう。しかし、もし患者さんがあのデータを知っていたら、それでも手術を受けたのだろうか、伝えなかった私の選択は正しかったのだろうかと、今でも思う。

天野慎介(一般社団法人全国がん患者団体連合会理事長)[伝える選択、伝えない選択]

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