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【識者の眼】「カイザーがカイザーを受けていれば─ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の分娩麻痺」早川 智

No.5142 (2022年11月12日発行) P.64

早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)

登録日: 2022-10-28

最終更新日: 2022-10-28

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11月11日は、第一次世界大戦の終戦記念日である。この時期のロンドンは祝祭というよりも追悼色に包まれる。日本人にとって未曾有の被害を受けた戦争は第二次世界大戦だが(京都人にとっては応仁の乱だそうだが)、英国にとっては第一次世界大戦である。この戦争の勃発には多分にドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世の特異な性格が関っているのは多くの歴史家の指摘するところである。ただ、その要因のひとつが分娩時の上腕神経麻痺であったことはあまり知られていない。

ヴィルヘルム2世は1859年1月27日、プロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム(後の皇帝フリードリヒ3世)と王太子妃ヴィクトリア(英国ヴィクトリア女王の長女)との間に長男として生まれた。待望の世子誕生だったが、骨盤位であり分娩は困難を極めた。英国人の侍医ウェグナー博士とドイツ人産科医マルチン博士は両側上肢挙上(いわゆるバンザイ状態)からかなり無理な牽引娩出を行い、左手に永続的な麻痺が残った。長じてからも英国人医師により、電気治療や牽引が繰り返し行われたが効果がなく、ヴィルヘルムの異常な英国嫌いの原因になった。

ヴィルヘルムには多くの肖像画や写真が残されているが、左手は決まって帯剣の上か後ろに組んで目立たないようにしている。彼は帝位に就くと祖父ヴィルヘルム1世以来、国家の柱石だった宰相ビスマルクを更迭し、「老いた水先案内人に代わり、朕がドイツという新しい船の当直将校になった」と宣言し帝国主義的膨張政策を展開するが、やがてオーストリア皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺されたサラエヴォ事件をきっかけに第一次世界大戦に突入する。

伝統あるプロシア陸軍と新式海軍を率いて、世界最強の英国海軍、フランス、ロシア陸軍相手の二正面作戦を展開するが、国力の疲弊と折からのスペインインフルエンザ大流行の影響もあり敗北。そして14世紀以降、ブランデンブルク選挙侯、プロシア国王、ドイツ帝国皇帝として君臨したホーエンツォレルン家によるドイツの支配も終わりを迎えた。幸いなことに、生命は永らえるが、家族ともにオランダで亡命生活を送ることになる。

現在ならば骨盤位は一部を除き帝王切開が原則であるが、筆者が研修医時代までは経腟分娩が主流でなかなか分娩できず大汗をかいたことを覚えている。カイザーがカイザー(帝王切開)で生まれていれば第一次大戦は回避できたかもしれない。

早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[経腟分娩][第一次世界大戦

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