株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

CLOSE

【識者の眼】「アフガニスタン人女性の日本での出産」南谷かおり

No.5082 (2021年09月18日発行) P.63

南谷かおり (りんくう総合医療センター国際診療科部長)

登録日: 2021-09-07

最終更新日: 2021-09-07

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

8月にアフガニスタンで反政府武装勢力が攻勢を強め、大統領は国外に逃亡した。このニュースを見て当院のアフガニスタン人妊婦を思い出した。

妊娠36週目に入って当院産科を初めて訪れた30代のアフガニスタン人の妊婦は、書類の手続きに時間を要し来日が遅れたとのことだった。簡単な英語と日本語が少し話せるアフガニスタン人の夫が同席したが、彼女はペルシア語しか話せなかった。ペルシア語となると自動翻訳機か電話通訳に頼るしかないが機械は性能が今一つで、ペルシア語通訳者は男性が多いためイスラム教徒である彼女が拒むこともあった。産科での通訳はプライバシーに触れる内容も多く、身内以外に話すのも抵抗があるようだった。そのため通院には毎回夫が付き添ったが、日常会話以上はペルシア語かアラビア語でないと理解できず、簡単な英語に訳したり翻訳アプリで単語をペルシア語に変換したりと苦労した。

妊婦は38週で入院したが、食事は宗教上の制約で料理酒、みりん、パン、加工品、全ての肉類とエキス類は禁忌で、フルーツ、牛乳、米、豆、卵、一部の魚しか食べられなかったため、毎日夫がハラル食を家から届けることになった。これは夫が調理するのではなく、ハラル対応の食品を関東の会社に発注していた。乳児用の粉ミルクに至っては信用のおける使い慣れた製品をわざわざドバイから取り寄せ、必要な量だけ母親が溶かして哺乳瓶に入れていた。日本人は多めに作って余れば捨てていたが、彼女は貴重なミルクを節約して使っていた。

出産はイランとドバイで帝王切開しており、今回も頭にヒジャブを巻いて手術室に入りたいと申し出たが、残念ながら叶わなかった。しかし、出産と病棟のケアは望み通り女性医師が担当した。出産後の経過は順調で、母子共に1週間で退院した。退院を待ち望んでいたのはむしろ夫の方で、妻の入院中は仕事をしながら4人の子供の世話、家事、食事の配達までこなし、そろそろ限界だったようだ。日本に親族はおらず来日して間もないため、全て自分たちで解決しなければならないのだ。

日本ではイスラム教徒への対応が追いついておらず、普通に生活するのも大変だということがよく解った。祖国の惨状と比べればマシかもしれないが、「郷に入れば郷に従え」ではなく宗教が違っても困らず暮らせるよう、日本には真のグローバル化を期待したい。

南谷かおり(りんくう総合医療センター国際診療科部長)[外国人診療]

ご意見・ご感想はこちらより

関連記事・論文

もっと見る

関連物件情報

もっと見る

page top