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【識者の眼】「『ザイタク医療』④〜暮らしは最期まで〜」田中章太郎

No.5066 (2021年05月29日発行) P.63

田中章太郎 (たなかホームケアクリニック院長)

登録日: 2021-05-11

最終更新日: 2021-05-11

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3回目の緊急事態宣言が出される直前の4月下旬、心臓外科の先輩医師と話す機会があった。大学時代、共にラグビーに明け暮れた。新型コロナウイルスに対する急性期病院での治療の現状、在宅医療の現状等、立場の違いによるウイルスの見方の違いを確認する機会となった。

その先輩と20年ぶりに再会した昨年の秋、在宅医療の話をお伝えしたところ、今回、こんな感想を頂いた。「在宅医療は、看取りの医療だと思っていた。でも、タナカの話を聞き、考えが変わった。患者の生活を支える医療であり、看取りが目的ではないとわかった」。あの再会以降、院内の医師達に「在宅医療は患者の暮らしを支える医療だ」と啓蒙しているそうだ。

肺癌末期だった祖母のザイタク介護生活で、印象に残ることが2つある。庭に白梅が咲いた頃、リビングのベッド上で孫のタナカが見守る中、「白梅咲いた、見る?」「うん、起きるね」。そう言って、必死に体を起こし、端座位を取りながら、やっとの思いで「綺麗ね」と孫の気持ちに答える。端座位一つとっても、当時は介助方法がわかっていなかった。ここにも本来であれば、最期まで祖母らしい暮らしがあったはず。また、別の日に「なんか食べたいか?」と尋ねると、大好きな「苺」と返事。ベッドをギャッジアップし、呼吸もままならない中、苺を細かくする方法は? スプーンなのかフォークなのか? 視線はどうすべき? 介助の方向は? そんな細かな、でも、とても大切な事を知らないまま、食事介助を行っていた。食べて欲しい気持ちが伝わるのか、祖母も必死だ。苺1個をなんとか食べ終わると、喉の奥から、ガラガラゴロゴロ。「美味しい?」不安そうに尋ねるタナカに、必死に「うん、美味しかった…」。その後の吸引で、喉から沢山の苺の欠片…『食べる』ということを知らなければ最期まで暮らしは支えられない。

たとえ死が迫っていても、人間は最期まで暮らしがある。『ザイタク』医療は、看取るためではなく、暮らしを支える医療だ。ベッド上で白梅を見る為の端座位の訓練や車椅子の選定。ベッド上で苺を食べる為の嚥下機能評価や訓練、食事介助方法の検討、もしくは、座位保持を考慮した食事の椅子への移乗、食形態の再考、等々、生活再建的思考が常に必要だと考える。

現在、多くの患者が「在宅」生活を強いられていると思われるが、「暮らし」がなくなるわけではない。今こそ、力を発揮できる『ザイタク』医療でありたいと切に願っている。

田中章太郎(たなかホームケアクリニック院長)[在宅医療]

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