株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

CLOSE

「JR東海事故の最高裁判決をどう捉えるか」[長尾和宏の町医者で行こう!!(60)]

No.4797 (2016年04月02日発行) P.19

長尾和宏 (長尾クリニック)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-26

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • next
  • 徘徊中の認知症高齢者が列車にはねられたJR東海の事故を巡る訴訟で3月1日、最高裁は家族の賠償責任はないという判断を示した。事故は2007年12月7日夕方、愛知県大府市で徘徊症状のある要介護4の男性(当時91歳)が、当時85歳の妻が数分間目を離した隙に外出して電車にはねられて死亡したというもの。JR東海は遺族に賠償を求めて提訴した。一審では同居の妻とともに、遠くに住む長男の監督義務を、二審では妻の監督義務を認めた。しかし最高裁は「家族の監督は困難」とし、賠償責任なしと判断、JR東海は逆転敗訴した。メディアは“超高齢社会の現実に沿った常識的な判断”とし概ね好意的に報じた。今回はこの最高裁判決を医療者としてどう捉えるかについて考えたい。

    まず、もし最高裁が一審、二審と同様に家族に賠償を求めたならば、認知症の人は早々に在宅療養を諦めて施設入所が加速したか、あるいは家での監視を強化されただろう。しかし徘徊する可能性がある認知症の人を家や施設に閉じ込めることは「認知症の人を地域で見守る」という地域包括ケアや新オレンジプランが謳う方向性と矛盾したものになる。

    実は数年前、私が在宅で診ていた認知症の人も今回の事故とまったく同じ状況で亡くなられた。しかしその件ではご家族への損害賠償はなかった。一方、今回の事故ではJR東海が損害賠償請求を起こし、一審、二審とも家族の監督責任を認めたために関心が高まり多くの市民が自分のこととして考えはじめた。今回の最高裁判決は認知症ケアの方向性という視点において、大きな転換となる判断を示したと言えよう。

    社会が賠償責任を負う?

    では事故で損害を受けた側の補償や賠償責任はどうなるのか。認知症の人が起こした事故の損害は社会が担保すべきであるとか、認知症保険のようなものを充実すべきだ、という旨の意見が出てきている。つまり今回の判決を機に、事故に遭う可能性がある認知症の人を守る社会をどう造るのかという議論が始まった。見守り携帯電話などのICTを活用した見守りシステムの普及が急がれる。今は手放しで逆転判決を喜んでいられる状況ではない。むしろ新たな難問を突き付けられたと捉えるべきである。

    個人的にはこの男性が抗認知症薬を服用していたかどうかも気になった。というのも先日、横須賀市で起きた認知症の男性が妻を殺害した事件では、抗認知症薬を服用していたことが報じられている。もし服薬中の人が徘徊事故や殺人事件を起こした場合、それを処方した医師の責任も問われる時代が来るだろう。筆者は一般社団法人「抗認知症薬の適量処方を実現する会」の代表理事も拝命しているが、「適量処方」という言葉にそうした想いが込められている。今回の事例では急増する認知症社会を考慮して、暫定的に「家族には賠償責任なし」とされただけにすぎない。「認知症と損害責任」という新たな命題への取り組みは始まったばかりだ。

    残り2,004文字あります

    会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する

  • next
  • 関連記事・論文

    もっと見る

    関連書籍

    関連物件情報

    もっと見る

    page top