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【識者の眼】「患者家族の面会制限から考える医療と宗教との協力・協働の必要性」田畑正久

No.5022 (2020年07月25日発行) P.53

田畑正久 (佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)

登録日: 2020-07-10

最終更新日: 2020-07-10

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新型コロナウイルス感染症の今後が見えない中で、病院・福祉の関係施設では入院(所)者の感染を危惧して面会制限をしていることがほとんどです。その状況の中で緩和ケアに関わる医師が、患者と家族の面会制限は緩和ケアの今までの良い面をなくしてしまうのではないか(「新型コロナウイルスで緩和ケアは自殺したのではないか? 医療者は、死者の権利を冒涜している」、6月15日BuzzFeed Japan)と発言されています。それを受けて宗教関係メディアの主筆小野木康雄氏(文化時報6月27日号社説)が、「宗教者は葬儀を通じて死者と向き合うのだから………、宗教者が声を上げるべきだ」と宗教界へのエールを掲載しています。

医療医学は原則としてこの世での病気・病人の生きている間に関わるので、「死」や「死後」ついては関わりません。一方、宗教界は死の前後の領域(周死期という言葉が使われる)に関わります。仏教では三世(過去・現在・未来、生きている間、死、死後)の救いを説くと言われます。

日本の緩和ケア運動の指導者の一人である柏木哲夫氏は「死の医学化」という言葉で、「死」は医療界が関わるより宗教界が主に関わるべき領域であると言われていました。しかし、日本の現状は死亡場所が圧倒的に医療機関、福祉の施設となってしまい、死亡診断書は医師しか書けないということもあって、医療関係者が関わるというか、施設に囲い込んでしまっているような現況になっています。

そこにコロナ騒動が起こり、患者家族の面会制限という状況が問題となっているのです。仏教では独生独死独来独去という言葉で、死の場面で、いかに多くの人に囲まれても一人で死んでゆくしかないと言い当てています。しかし、そこには仏に囲まれて仏の世界に還ってゆくという浄土・涅槃(迷いを超えた)という世界を感得した「安心(あんじん)」の世界を教えているからです。

科学的思考の医学は物事のカラクリを解明して、その成果で管理支配しようとします。人知の及ばない「死」を管理支配しようということ自体が不可能なことだと受け取り、仏教・宗教と協力・協働が求められているということではないでしょうか。

田畑正久(佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)[医療と仏教][緩和ケア]

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