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【識者の眼】「仕えるべきものは欲ではなく真理」田畑正久

No.5005 (2020年03月28日発行) P.58

田畑正久 (佐藤第二病院院長)

登録日: 2020-03-31

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私たちの常日頃の思考は、理性・知性の思考で物事を対象化して、客観的に見て、誰が見ても確かだと思われるものを積み重ねていく、合理的思考です。そして、人間は皆、誰からも教えてもらっていないのに、「しあわせ」を目指して生きているとギリシャの哲学者が言われています。多くの日本人は「しあわせ」の漢字を「幸せ」と書いています。しかし、広辞苑(岩波書店)では「仕合わせ」が正式な日本語だと示されています。仕えるべきものに出合うという意です。

「幸せ」を考える時、例えば海の幸、山の幸をイメージするように、自分の周りに幸せのプラス要因を増やし、マイナス要因を減らすことが幸せな人生につながると思考します。私達は周囲の事象を、善悪、好き嫌い、損得、勝ち負けと分別して、幸せのためのプラス要因を集めて身に付け、明るい幸せを目指して生きています。日常生活の取り組みはほとんどこの方向性で進んでいます。

厚生労働省が提示した「人生会議」のポスターが、いわば老病死に関係する暗いイメージを持たせるもので配慮に欠けていると批判されて、回収されましたが、老病死をいくら隠しても、現実は老病死に直面するのです。生老病死の四苦を超える仏教文化の蓄積が宝物としてあるのに、不自然に衆目の眼の届かない施設や病院へ囲い込んでも、なくなるわけではありません。

よく考えてみて下さい。超高齢社会を迎えて人は必ず老病死に直面します。医療でアンチエイジングに取り組んで「死」を先延ばししても、120歳を越える人はいません。不老不死を追求した近未来でも150歳が限界だろうと言われています。

仏教文化は「量的長生き」を超えて、「質的長生き」を教えているのです。科学的合理思考になじみの深い医療人は、「長生きに質的ということがあるのか」と思われるでしょうが、孔子の論語に収められている「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉を聞かれたことがあるでしょう。人間として道(真理)を聞かなければ、生きていても益がない。孔子が、朝、道を聞いて、夕方死んでもよい、とされたのは、欲(煩悩)ではなく真理(仏の智慧)こそ仕えるべきものだということでしょう。

田畑正久(佐藤第二病院院長)[医療と仏教]

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