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パピルスに書かれたミステリーのDNA鑑定[エッセイ]

No.4943 (2019年01月19日発行) P.66

小長谷正明 (国立病院機構鈴鹿病院名誉院長)

登録日: 2019-01-20

最終更新日: 2019-01-15

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犯罪捜査では遺留物のDNA照合によって、以前なら迷宮入り事件の犯人が検挙されるようになった。数十年前に筆者が医学部で学んだ法医学とは、まさに21世紀と古代文明くらいの差がある。

その古代エジプト時代の犯罪にもDNA捜査が及び、3000年前のミステリーが解決された。物的証拠は、イタリアのトリノにあるパピルスと、王家の谷の身元不明のミイラ、それに被害者のファラオ(国王)のミイラである。

パピルスはペーパーの語源であり、紙だけでなく、文書という意味もある。古代エジプトの時代、ナイル川に群生しているパピルス、つまりカミガヤツリ草(紙蚊帳吊草)の繊維を梳いて紙をつくり、それがペーパーの語源となっている。エジプト人はそのパピルスに文字を書いて沢山の文書を残し、19世紀初めにシャンポリオンが古代エジプト文字を解読して以来、様々なことがわかってきた。宗教的な祈禱書だけではなく、細々とした内政や外交の文書、税、暦、詩や文学、それに医学書のパピルスまである。そして、イタリアのトリノ博物館に保存されているパピルスには、ハレムの陰謀と言われているファラオ(古代エジプトの王)暗殺事件の裁判記録が残されている。

1886年、王家の谷と峰を一つ隔てた窪地のデイラル・バハリで、ファラオや王妃のミイラと一緒に青年男性の奇妙なミイラが発見された。背が高く、しっかりした体つきで、髪の毛は編まれ、両耳は金のイヤリングで飾られ、奇麗に整えられた足の爪は赤く塗られており、高い身分を示していた。しかし、手や足は皮の紐で結われて、叫ぶように口を開いて苦悶の表情のままで、何の装飾もされてない粗末な杉の柩に納められていた。学者たちは、そのミイラを無名者E(unknown E)として登録した。

ここは、ツタンカーメンの墓などで有名な王家の谷と峰を一つ隔てた窪地であり、王室関係者の墓地でもあった。それどころか、ミイラの副葬品 を狙う墓泥棒の群れから守るために、神官たちが何十人ものファラオや妃のミイラを王家の谷から集団疎開させて、目立たない岩窟の中に隠した避難所でもある。だから、ここに葬られた無名者Eは庶民や王室に仕えたものではなく、れっきとした王族に連なる者であっても不思議はない。

古代エジプトでは、死者の肉体を保存しておけば、黄泉の国でも現世と同じように暮らしていけると信じられていた。亡くなった人をただ乾燥して干物にするのではなく、いつまでもミイラとなった肉体が崩れ落ちないように入念な儀式と方法によって処理された。鼻腔の奥の篩骨という板状の骨を壊して腐りやすい脳を取り出し、同じ理由で脇腹からも内臓を取り出す。そして、体の本体は数カ月の間ナトロン(炭酸ナトリウムと炭酸水素ナトリウムの混合物)にまぶして水分を抜き、消毒されて、最後に包帯をグルグルに巻かれて柩に納める。ファラオや王族ならば、より丁寧にミイラがつくられていたのは言うまでもない。

だが、問題の無名者Eと呼ばれている青年のミイラは、王室ゆかりの墓地から発掘されたにもかかわらず、きわめて粗雑につくられている。内臓は取り除かれていないままであり、ナトロンも申し訳程度に振りかけられただけである。エジプトのミイラの定番ともいえる包帯は巻かれずに、当時は忌み嫌われていたヤギの皮で覆われていた。とても、安らかな来世に旅立たせようという弔い方ではなく、むしろ、地獄に落ちろ、とでも言わんばかりである。

長らく、無名者Eは、何らかの不祥事で毒殺されたか、生きたまま柩に入れられて窒息させられた高貴な青年と推測されてきた。かのツタンカーメンが若くして亡くなった後に、妃のアンケセナーメンが夫に迎えようと招き、行方不明になったヒッタイト王国の王子だという説や、後継者争いに敗れて殺された別の王子とも言われてきた。しかし、手がかりとなる副葬品はなく、柩にも何の記録も残されていなかった。

古代エジプト新王朝のラメセス3世は、紀元前1182〜1151年にかけて王位にあった、最後の偉大なファラオと言われている。アブ・シンベル神殿で有名な大王ラメセス2世とは時代が約100年も隔たっていて、王朝もこの間に第19王朝から第20王朝に変わっており、同じ名前だからといって3世が2世の跡継ぎというわけではない。残されているミイラの顔を較べると、ラメセス2世は後を継いだ息子と同じように細面なのだが、3世は顎が張ったがっしりした顔つきで、あまり似ていない。もっとも、2世のひ孫かなんかで、何らかの血縁があったという説もありはする。ちなみにラメセスとは、「ラー(太陽)が生まれた」と言う意味だ。

豊かなナイル川に育まれたエジプト王国は、小アジアなどからの異民族に何度も侵略を受け、時には王朝が取って代わられたこともある。ラメセス2世もヒッタイト王国の脅威を受けて逆に現在のシリアまで進出し、カデッシュの戦いで勝利を収めた。その結果、エジプトに繁栄をもたらし、長い治世から古代エジプト第一の大王として記憶されるようになった。その威光は20世紀にも及び、1974年に彼のミイラが医学的検査のためにパリに運ばれたとき、フランス政府は職業ファラオと記入されたパスポートを発行し、空港に儀仗兵を派遣して国家元首の格式で迎えた、というエピソードがある。

ラメセス2世から1世紀後のラメセス3世の時代にはギリシャから小アジアにかけて天災や干ばつで社会的大混乱が続き、古代オリエント社会には多くの難民で溢れていた。エジプトは「海の民」と呼ばれている、いわば組織的な武装難民の襲来を陸上と海上から受け、ラメセス3世は総力を挙げて防衛し、「デルタの戦い」を勝ち抜き、母国を死守した。治世8年目と9年目のことである。さらに、リビア人との2度にわたる戦いにも勝利して、エジプトに平和をもたらし、ラメセス2世に倣って自らの業績を称えるモニュメントや寺院を盛んに建築しはじめた。ところが、それが財政破綻を引き起こしてしまったようだ。腐敗した官僚や聖職者の中間搾取もあり、建築に携わる労働者たちへの給料が滞り、ストライキが4回も起きた。パピルスに書かれた古文書はファラオを称えるだけではなく、時にはこのような世相も記録している。

ラメセス3世は政治や軍事だけではなく、性事も同名のラメセス2世に倣った。ラメセス3世葬祭殿の上層部にある部屋の壁には、ハレムで戯れるファラオが描かれているという。妃の数が何人かは不明であるが、ティティという妃は、「王の主妃」という称号とともに「王の愛した実の娘」とも呼ばれている。偉大なるラメセス2世の「王の偉大なる夫人」メリトアメンも実の娘であった。古代エジプトの王族は、高貴な血筋を維持するために近親婚の風習があり、かのツタンカーメンも両親は兄妹であることがDNAの解析で明らかになっている。

そして、ラメセス3世には息子も10人以上もいて、その子たちにもラメセス2世の皇子たちと同じ名前を付けたという。やがて、皇子たちの間で世継ぎ争いが起こった。トリノ・パピルスの記録によると、ラメセス3世はハレムで暗殺を図られた。まず、最初の企みは蠟人形と呪いの言葉による魔術の殺人である。無論、うまくいかない。そこで、「邪悪な蛇や蛇たちの王」によって次の手が実行に移されたという。首謀者はラメセス3世の妃の一人ティイで、彼女は息子の王子ペンタウアーを王位につけようと企んだ。ラメセス3世は主妃ティティが産んだヘカマアトラー(後のラメセス4世)を後継にするつもりでいた。ライバルの子を推すファラオに刃を向けたのだ。

トリノ・パピルスには実際の経過は書かれていないが、ラメセス3世の前侍従長など高位の側近やハレムの高官や女性、それにハレム外の軍人などが陰謀に加わっており、ファラオ殺害と同時に、エジプト全土に蜂起を呼びかけるクーデター計画であった。このパピルスには「民衆よ、立ち上がれ!王に刃向かう者の敵をやっつけろ!」という檄文が残されている。

一味は逮捕され、裁判の審理の結果、28人が処刑され、10人が自決を命じられた。陰謀が達成された暁の王位予定者だった王子ペンタウアーも自決を促された。妃ティイへの判決記録は残っていないが、生命を許されたとは思えない。

パピルスによると、裁判官は王の側近、官僚や軍人から14人が任命されたが、審理の後のほうになって、3人の裁判官と2人の警官が被告となった。立場を利用し女性の被告と密通したという罪状である。まさに究極のパワハラ・セクハラで、古代エジプトでも厳しく断罪された。4人が有罪になり、1人は自殺し、3人は命を助けられたものの、後の世への見せしめのために鼻や耳が削ぎ落とされたという。

ラメセス3世は死後ミイラにされ、王家の谷のKV11という大きな墓に埋葬されたが、盗掘から免れるために後の王朝の神官たちによって、他のファラオたちのミイラと一緒に別の祠に隠され、19世紀末になって再発見された。ラメセス3世のミイラはきわめて良好な保存状態であり、樹脂を浸した包帯できっちりと巻かれた体の上に、テリー・サバラスのようにしっかりした顔つきの頭部が載っていた。見たところは外傷がなく、トリノの裁判パピルスでは、暗殺者たちを「邪悪な蛇や蛇たちの王」と表現していることより、蛇毒か何かによる毒殺が疑われてきた。また、パピルスはラメセス3世が裁判開始を主導したようにも読み取れることから、暗殺事件直後には生存しており、間もなく死亡したと考えられてきた。

ところが、21世紀になって、最新の医療機器を用いた医学的調査がラメセス3世のミイラになされ、謎だったハレム陰謀事件の顚末が明らかになった。高性能で3次元画像を再構成できるCTスキャンでは、彼のミイラの固く巻かれた首の包帯の下には、刃物による7cmもの傷口が見つかった。傷は脊椎に達し、気管や食道、頸動脈などの太い血管は切断されていた。切られた時、動脈血が噴水のように吹き出たに違いなく、大出血で、間違いなく即死のはずだ。魔術でも毒殺でもなく、首をかき切られて暗殺されたのだ。だが、その場にいた王の護衛なり、家来なりの手際が良かったようだ。直後に陰謀者は拘束され、クーデターは鎮圧された。直ちに「王の主妃」ティティの息子がラメセス4世として即位して裁判を主導し、一味は断罪されたはずだ。

無名者Eのミイラにも医学的検索は及んだ。X線写真での骨端線の癒合の程度から、年齢は18〜20歳と推定された。無名者Eは、骨の成長はほぼ終わっているが、まだ完全には骨端線が癒合しておらず、その年齢と判定された。

そして、首の皮膚が圧迫された痕跡が認められ、さらに胸腔は膨らんでいて、空気を大量に肺に吸い込んだ状態である。無名者Eが絞殺されたか、あるいは首吊りをして死んだかを示していた。当初、疑われた毒殺や生き埋めでの窒息死ではなかった。

では、無名者Eとは誰か?そのミイラとラメセス3世のDNA鑑定が行われた。2人のY染色体DNA配列は一致しており、男系の近親者であることが確定した。Y染色体とは男性の細胞にだけある染色体であり、祖父から父、父から男の子という具合に、男系のみに伝わっていく。無名者Eはラメセス3世の息子で、ハレムの陰謀事件で自決させられたペンタウアーであったと考えられるようになった。

こうして、トリノ・パピルスに記録されていた事件が、21世紀の法医学的手法で以て、3000年以上の時空を超えて解決した。

そういえば、ミステリーの女王と言われるアガサ・クリスティのご主人は古代オリエント学者であり、彼女の作品の中にも、メソポタミアや古代エジプトが舞台となっているものがある。

【参考】

▶ Hawass Z, et al:Scanning the Pharaohs. American University in Cairo Press, 2015.

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