検索

×
絞り込み:
124
カテゴリー
診療科
コーナー
解説文、目次
著者名
シリーズ

FOCUS:内科医が不登校を診る

登録日: 2026.01.09 最終更新日: 2026.01.09

國松淳和 (南多摩病院総合内科・膠原病内科部長)

お気に入りに登録する

南多摩病院総合内科・膠原病内科部長
國松淳和
2003年日本医科大学卒業。日本医科大学付属病院第二内科から,2005年国立国際医療研究センター膠原病科,2008年同国府台病院内科/リウマチ科,2011年同総合診療科を経て,2018年より現職。日本内科学会総合内科専門医,日本リウマチ学会リウマチ専門医。『ステロイドの虎』(金芳堂),『國松の内科学』(金原出版)など著書多数。
私が伝えたいこと
◉不登校は疾病ではない。
◉不登校の児童生徒は基本,成人との会話が不足している。
◉疲れ」という言葉を使うと,診察室でやり取りしやすい。
◉あらゆる身体的・精神的問題において「疲れ」は原因的立ち位置になるが,まずは「疲れ」を認識することが出発点になる。

❶ はじめに〜不登校の現在

不登校が問題になっています。データを持ち出すまでもなく,日々の診療の中で,あるいは診療外でも,学級単位当たりで常時数名は登校できていないような現状を,特に偏りなく全国的に見かけたり聞いたりしたことがあるかと思います。

とはいえデータを持ち出すと,令和7年10月29日付で文部科学省が公表した「令和6年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について1によると,不登校の児童生徒数は以下の通りです(12)。

要するに,「数も割合も年々増え続けている傾向」ということです。小学校ではクラスに1人くらい,中学校だと1人じゃすまないくらいの子が不登校になっていることになります。最近聞き及んでいる体感と一致します。

なお,「不登校」の定義は,病気や経済的な理由以外で,年間30日以上欠席した状態とされています。

❷ 「不登校」にまつわる私見

「不登校という問題」に専門医がいるのかいないのかはわかりませんが,これは少し気持ちの悪いフレーズです。先に不登校に関する私見についてのエッセンスを述べておきます。それは,「不登校は疾病ではない」という点です。

(1) 不登校そのものは疾病ではない

医師の悪いところは,不適切と思えるすべての事柄を問題点(プロブレム)として扱うところです。不登校自体はそういう現象であって,別に医学的な問題ではないのです。不登校を疾病のようにみなさないほうが良いと思います。なぜなら,医師は問題があるとわかるや否や医学的な原因があると信じて,それを探してしまう習性を持つ生き物だからです。

たとえば,不明熱でも,不明熱というのは「不明熱」という定義であって不明熱という熱は存在しません。また,不定愁訴でも,不定とみなしているのは医師のほうであって患者さんは必死の思いで症状を述べているだけで,不定愁訴というものを訴えているわけではありません。それと同じように,と言うと無理があるかもしれませんが,不登校は現象にすぎません。そこになんだか不調かもしれない子たちがいる,ということを我々に示しているだけです。特に内科医など,身体を診る医師はここからスタートしたほうが良いと思います。

不登校を現象としてとらえ,社会学的に考察する議論はあっても良いと思います。しかし,それは医師が専門的に論じることではありません。端的に言えば専門外です。医師は,特に臨床医は,医師にしかできない臨床仕事をしましょう。我々にできることはなんだったでしょうか?

(2) 思春期の子たちとの接し方

さて,この記事で話題にしようとしているのは,思春期の子たちのことでした。思春期というのをあえて年齢で言えば,個人的には10〜18歳くらいととらえれば良いと思っています。学年で言えば,小学校4年生~高校3年生くらいということになります。すごく雑に言えば中・高生です。

このような年齢帯の子と,ちゃんとお話をしたことがありますか?彼ら・彼女らは,ほぼ普通に大人と会話できます。ちゃんと話す,というのは,医療者の大得意なフレーズ「傾聴」のことではないです。大人同士でもやる,ごく普通の会話のことです。向き合って話を聴くとか,そういう身構えた様態を想定しないで下さい。あの子たちは,普通に話せるのです。まずは,ごく普通に話しかけることが大切です。これは,思春期の患者さんを診療するときのスタートラインの心構えです。ちなみにですが,そもそも「傾聴」とかいうフレーズ/概念は,思春期の子に限らず,どの患者さんに対しても失礼です。患者さんは,医師に必死に話を聴いてほしいなんて思っていません。普通に聴いてほしいだけです。

では,どうやって話せば良いかですが,コツがあります。「思春期の繊細な子だ!」とか,「不登校になっている子か……」などと気構える必要はありません。成人の患者さんに話しかけるのと同様に話せば大丈夫です。この子にはどうせこちらの言っていることはわからないだろうという“謎の察し”をして,説明を端折ったり,過度に平易で幼稚っぽい言葉や言い回しを使ったりはしないようにして下さい。いつも通り挨拶をし,始めは丁寧語を使い,名前を呼ぶときも〇〇さんなどと呼び,成人の患者さんと同様に説明して,選択肢を与え,同意を取って診療を進めて下さい。これをやらずにいきなり,付き添いの親や祖父母に話しかけて,話をどんどん進めないで下さい。そういうところを彼ら・彼女らは見ているし,無用な落胆を増やすだけです。

「学校に行けていない,問題のある子」という目線をやめて下さい。単に「学校に行っていない子」というだけです。臨床医はそこを診るのではなく,彼ら・彼女らの体調を診てあげて下さい。我々医師は,たまたま(かつての)自分が学校に行っても疲れない人だったということだけをもって,学校に行くことが本来的だとかそのことが適切だとかと誤認しがちなのです。ただ,我々は学校に行ける体力や,それに基づく体調の良さを持ち合わせていただけです。

効果的な声かけフレーズ10選①
「まあ,先生(私)は別に学校には行かなくていいと思ってるんだけど,もしなんか病気があったら,それは心配だなあ。だから,しばらくここに通ってみたら?」

(3) 不登校診療:「既に大敗している」

通じるから普通に話せと私は言いましたが,そうすれば良好に通じ合って,たちどころに診療が成功するということではありません。そもそも成功はしません。成功させる方法がある,ということでもありません。内科医が不登校に関わるときは,「既に大敗している」というような位置から始めてみることをお勧めします。

どういうところが「大負け」「大敗」しているかというと,医師が不登校を認識するまでの間に,子どもたちは成人と基本的な会話すらできていない,という部分です。学校に行けない子たちというのは,自らの表現のようなものを奪われた状態になっています。やり取りを始めようにも,始まる前から大人が勝手に立ち去っているイメージです。そのような,未分化の段階あるいはごくごく初期の段階で,既にやり取りに失敗しているということを,「大敗」と表現しました。

思春期では,彼ら・彼女らの脳はまだ概念の形成が完了しておらず,すなわち思考や想像の力も未成熟な中,それを他者に伝える際の表現も未発達です。この場合,主に言語的な表現の及ばなさがややネックになっています。成人と本来的な対等さでやり取りを行うには深い思考が必要なのですが,そのためには,ある程度は概念的な思考というか抽象的なことを考える力を,なんとなくのレベルでも持っている必要があります。そして,あるときにそうした概念理解がふと進んだり,ほんのりでも抽象的なことを考える力が身についたりしたら,今度はそれを言葉などに置き換えて他人に伝える,あるいは外に表現することになるのですが,その出力の巧拙にもまたさらに個人差が出てきます。

そして,ここが重要なのですが,「物心がつき,普通のことは成人とやり取りできるけれども,深い思考を行うための概念については,なんとなくでしか理解できていない」ということと,「その“なんとなく”をうまく外へ言語的に表出することがまだ稚拙である」ということが組み合わさると,高率に他者,とりわけ大人と衝突します。衝突だけなら良いのですが,その衝突時の負荷がうまく分散されないままとなると,それを内部に溜め込むことになります。そして結果的に,これが多大なエネルギーロスとなり,疲労します。この疲労は,人として社会活動をするために直接利用したり消費したりするような類の体力ではなく,種々の活動をする際にゆとりをもたらす基盤となっている「内部に貯蔵された体力」のほうを削っていくので,質が悪い疲労であると言えます。

今,私は図らずも,不登校という現象の生物学的なメカニズムの一部を述べたかもしれません。ですが,これは本当にそうで,不登校とされている子たちは,ほぼ全員疲れています。これは,いわゆる疾病があるなしにかかわらずそうなのです。

この記事はWebコンテンツとして単独でも販売しています

プレミアム会員向けコンテンツです
→ログインした状態で続きを読む


1