本書は,診断の過程を言語化した,わが国の内科診療における「はじめに言葉ありき」である。
還暦を過ぎた私は日々早朝覚醒が進行し,毎朝オリオン座を南天の空に仰ぎながら出勤している(2025年10月下旬)。本書を読んで,まず,同じオリオン座をみていても,みる人の「悟性」によって,違う星空にみえるものだと思った。
滋賀医科大学医学部の3年生に,診断学序論としてEBMを担当している私は,ICTやAIの技術が進歩するにつれて,内科診療における侵襲的な検査・治療は,より言語化され,標準的・普遍的となり,cookbook medicineに近づくものだと考えている。
cookbook medicineに賛否があることから,患者中心の医療の実践のために,私は今年度よりEBMの講義に,行為の選択の理由を述べる学問,倫理学を取り入れるようにして,一定の学生の評価を得た。
内科の診療において解決すべき最大の問題は,患者を前にして,どのcookbookを選択するのか,つまり,患者の訴える症候を医学的診断に落とし込む過程,臨床推論の言語化があまり進んでいない点である,と私は考えている。1989年に医師になり,EBMの洗礼を受けて,21世紀に入る直前に比較的責任のある立場で内科診療にあたった私の同年代(現在55~65歳程度)の内科医にとって,臨床推論とはclinical reasoningであった。よって,本書でも引用されていたThe New England Journal of Medicine(NEJM)のclinical problem solvingの連載や,米国内科学会からのclinical reasoningの解説本でclinical reasoningの言語化に挑んだものである。しかし,英語であり,神から理性〔reason,ロゴス(言葉)〕をわけてもらっていない私では,clinical reasoningが,臨床推論になる道程は非常に険しく,後進の医師に診断の過程を言語化して伝えることがほとんどできなかった。つまり,「語りえぬものは存在しなかった」のである。
しかし,本書が出版された2025年10月25日以降は,わが国でも日本語化された臨床推論が存在するようになったのである。本書の構成は,序論(オリオン座が出てくる),吉田心慈先生が言語化した臨床推論理論編(第4章の「ノイズの制御」が秀逸である。「絨毯爆撃的検査のみならず,問診や診察も場合によればノイズになりうるのである」という文章に大学附属病院時代の病棟カンファレンス・教授回診を思い出した),そして,吉田先生が実践されている言語化された臨床推論の実際がまとめられた症例編15例というものであり,それぞれの症例の表題が,NEJMのclinical problem solving風であり,吉田先生の省察が入りながら文章化されていることに感銘を受けた。
単著の形で医学書を書いた経験のある私としては,本書における臨床推論の言語化は大変な作業であったことが推察される。しかし,本書のおかげで,これからの若い医師は,言語化された臨床推論の習得がより容易になったはずである。同じ国立病院機構に縁があるものとして,吉田先生に心からの謝意を示したい。また,吉田先生の総合内科医としての次の著書を心待ちにしている。
