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老健施設長日記③高齢者医療の考え方を見直すきっかけとなった老健での1年[エッセイ]

登録日: 2025.11.03 最終更新日: 2025.11.04

浅香正博 (カレス記念病院院長)

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老健には施設長が1人,つまり,医師が1人しかいないのである。あまり考えずに引き受けた老健の施設長であるが,すぐにその責任の重さを知った。100名近い超高齢者ばかりが入所している施設であることから,午前,午後の回診のみでは入所者の状況を正確に把握することは不可能である。したがって,いかなるときも携帯電話を手元に置いておく必要がある。

老健の看護師が最も心配していることは,施設長の不在時に入所者が急変したとき,どのように判断し対応すればよいか,とのことである。老健の看護師の中途退職が,病院勤務の看護師より多い理由は,このような対応が増えることにより,疲労が蓄積していくためではないかと言われている。それゆえ,どんなときでも施設長の指示が出せるようにと,私はどこにでも携帯電話を持って出かけた。

確かに,電話はよくかかってきた。自宅はもとより,レストランでの食事中やテニスをしているときなど,時間や場所はまったく関係ない。あるときは,全国学会(倉敷市)でこれから講演というときに電話が鳴った。入所者が熱発したので,どのように対応すべきか指示がほしいという。講演終了後まで待ってもらい,指示を出した。

しかしながら,夜中に携帯が鳴り,施設に駆けつけたことは,年に2~3回と意外に少なかった。駆けつけたときは,入所者が急変し,診察後に急性期病院に転院となる例が多かった。この場合は,救急車を依頼することが多かったが,私が勤めた老健は,札幌市郊外のスキー場近くにあったこともあり,救急車が到着するまでに時間がかかり,ヒヤヒヤしたことが何度もあった。

勤務していた7名の看護師は,実によく働いてくれた。ある看護師は,両親の介護をしており,1日中介護をすることが何年も続き,これが日常であると感じるようになっていた。そのため,老健での仕事にあまり違和感を覚えないと言っていた。介護士の仕事であるオムツ交換も,人が足りないときは当然のように行ってくれた。大病院で看護師として何年も勤め,海外留学の経験もあるのに,老健で勤務してくれていることに頭が下がった。

ある日私は,93歳の入所者と面談した。かつて外科の医師であり,大病院の院長も務めた方である。しかし,認知症が進行し,通常の会話がなかなかかみ合わなかった。ところが,30年以上遡り,この方の院長時代の話を聞くと,生き生きとしてその頃の話をしてくれた。“君も私の部下としてよく働いてくれたね”と言われ多少戸惑ったが,“そうでした。お世話になりました”と同意した。1時間くらい経つと,見事なくらいこのときの会話を忘れていた。

現在私は,急性期病院の院長をしている。後期高齢者になってから1年間,老健の施設長を務めたことで,患者のこれまでの生き方を考慮した診療の重要性を認識することができた。本当に貴重な経験であり,現在の病院での診療にも大いに役立っている。


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