■「抑制性T細胞」が否定された影響で不遇な時代も
──日本人の生理学・医学賞の受賞は2018年の本庶佑先生の受賞以来となりますが、坂口先生の研究成果をどのように見ていますか。
仲野 かなり前に「抑制性T細胞」というものが提唱された時期があり、それがほぼ否定された影響で坂口先生の「制御性T細胞」もなかなか認められない不遇な時期がありました。坂口先生は違うものを見ていたのですが、抑制性T細胞は誤りだったということで、多くの人はそのようなT細胞はないと思い込んだのです。
坂口先生の着眼点は私のような凡庸な人間とは全く違う。ずっと研究を継続され、制御性T細胞の存在を証明したのは堂々たる研究成果です。
2003年に「Foxp3」という転写因子が制御性T細胞の分化にとって極めて重要だということを発見され、一気に坂口先生の主張は正しいという流れになりました。そこからノーベル賞受賞までにさらに20年以上経っていますので、坂口先生の信念はすごいと思います。
──2015年にガードナー国際賞を受賞され、国際的に認められていった。
仲野 坂口先生は2017年にクラフォード賞も受賞されています。これはスウェーデン王立科学アカデミーが出している賞で、ノーベル賞とダブルで受賞する人はなかなかいない。私たちの間では「坂口先生は業績的には十分だけれど、ノーベル賞はないのではないか」という噂もありました。そういう思い込みがあったので、ノーベル賞受賞のニュースにはちょっとびっくりしました。
■「信念の強さ」と「奥さんのサポート」が大きかった
──阪大在籍中に近くで見ていて坂口先生はどういうお人柄でしたか。
仲野 温厚で優しい、気さくな先生。すごく真面目ですし、1つのテーマにスティックされてきたのが非常によく分かるお人柄だと思います。
自分のスタイルを作って執着できる性格で、周りからの攻撃にも強い。一時はバッシングに近いような状況でしたが、誰にも相手にされないような状況でもやってこられたのは信念の強さ、それとこれは想像ですが、奥さんと一緒に二人三脚でやってきたのが大きかったと思います。
あのような状況では普通はくじけます。くじけそうになった時に、ごく身近にそういう方がおられたというのは大きかったのではないでしょうか。