◉性感染症は患者を苛む「病気」です。罰や犯罪ではありません。
◉すべての診療科で診断される「梅毒=コモンディジーズ」です。
◉梅毒の感染は挿入だけでなく,オーラルセックス・アナルセックスでも成立します。
◉性の多様性を理解し,十分な問診と診察とともに性感染症の予防を指導しましょう。
◉梅毒は,多彩な臨床症状(無症状含む),多彩な検査結果により診断を狂わせる「偽装の達人」です。
◉梅毒をみたらHIV,ウイルス性肝炎(HAV,HBV,HCV),淋菌,クラミジアなど,その他の性感染症の鑑別も忘れずに。

❶ 梅毒とトレポネマ,トレポネマと梅毒
1905年,Fritz SchaudinnとErich Hoffmannは,Spirochaeta(現在はTreponema)pallidumが梅毒の起因菌と報告しました。T. pallidumは直径0.1~0.2μm,長さ6~20μmの微好気性スピロヘータ(らせん状グラム陰性細菌)です。ワインオープナー様に回転する運動性があり,暗視野顕微鏡で青白い螺旋糸状に見えます。粗雑な膜貫通蛋白質密度により表面抗原性が低く,自然免疫系の排除が困難とされています。
ヒトに感染するトレポネマは,いわゆる“梅毒”のTreponema pallidum subspecies pallidum(TP)に加え,風土病トレポネマ(endemic treponematoses)としてT. pallidum subsp. perutenue(Yaws,熱帯フランベジア,イチゴ腫),T. pallidum subsp. carateum(Pinta,熱帯白斑性皮膚病),T. pallidum subsp. endemicum(Bejel)の4つの亜種があります。ウサギにも梅毒があり(T. paraluiscuniculi),生殖などで接触する外陰,肛門,鼻などの粘膜から皮膚の紅斑,潰瘍が出現し,ヒトの梅毒に似ています。
代表的な風土病トレポネマYawsは,小児を中心に皮膚を介したヒト-ヒト感染で性交渉による感染や母子感染は稀とされています。病期(1期:局所病変,2期:リンパ行性,血行性播種による皮疹,晩期:骨・軟骨・皮膚破壊)は梅毒に類似し,主に熱帯地域(西アフリカ,東南アジア,環太平洋地域)の発展途上国,現在でも少なくとも12の国で発症が確認されています。Yaws以外にもframbesia tropica(独),pian(仏),buba(スペイン),paru(マラウィ)などの呼び名があります。
Pintaは熱帯気候の未開発地域(メキシコ,中南米など)で生じる,家族間など長期の接触による潰瘍化しない皮膚結節,dyschromia(色素異常症)が特徴とされますが,いまだ不明な点があります。
Bejelはendemic/nonvenereal syphilisとされ,皮膚の接触を介した感染,飲み物容器や喫煙パイプを介した口腔伝播もあり,性感染症的側面があります。西アフリカ,ボツワナ,ジンバブエなどの乾燥地域での流行や輸入症例が報告されています1)。海外渡航歴のない,男性とセックスする男性(men who have sex with men:MSM)に7例のBejelが京都・大阪から報告され,解析した全例にマクロライド耐性変異(A2058G)を認めました。
梅毒と風土病トレポネマとは臨床像が類似し,全ゲノムシークエンスでゲノム配列上99.8%が一致しています。日常診療での梅毒血清検査(RPR,TPLA,FTA-ABS)では,梅毒と風土病トレポネマとの区別は困難です。もしかすると私たちが診療している「梅毒」には,一定数の「梅毒ということになっている」風土病トレポネマが混在しているかもしれません。WHOは風土病トレポネマを「顧みられない熱帯病(neglected tropical diseases:NTDs)」の1つに挙げており,診断・マネジメントアプリ“Skin NTDs Guide App”を提供しています2)。
❷ ヒストリーの中の梅毒
1492年,バルセロナの医師ルイ・ディアス・デ・イスラは,梅毒に罹患したコロンブス船団のクルーや連行された奴隷の診察を記録しています。「梅毒という野蛮な病気が新大陸からヨーロッパにもたらされたのは,コロンブスの大航海が原因だ」というのが,梅毒の世界的蔓延の発端とされた「コロンブス仮説」です3)。
1494年,フランス王シャルル8世のナポリ遠征で兵士たちは現地で懽楽を尽くし,不運にも梅毒の曝露を受けた娼婦,巡り巡って曝露を受けた兵士を発端に梅毒が蔓延しました。この経緯から当時のイタリアで梅毒は「フランス病」,フランスで「ナポリ病」と呼ばれていました。「唐瘡」「広東瘡」(日本),「ドイツ病」(ポーランド),「ポーランド病」(ロシア)など,「未知の感染症は自分たちの“外”からやってくる。悪いのは“外”。自分たちは被害者」という共通した発想に基づいており,コロンブス仮説もこの文脈に沿ったものと言えます4)。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で私たちが経験した過剰な対応や差別も,根底にはこの発想があるのかもしれません。
このコロンブス仮説には懐疑的な見方もあり,現在では紀元前400年頃に風土病トレポネマ(Yaws)がTPへと進化し,アフリカ由来のYawsがヨーロッパでの梅毒蔓延につながったと考えられています3)5)。
中世以降のヨーロッパの芸術家,文化人の間で梅毒はある種の流行ととらえられ,『女の一生』の作者モーパッサンは,自身の梅毒罹患を半ば喜びも含め手紙にしたためました。「耳鳴・難聴→ベートーヴェン→(耳)梅毒」の連想は,診断のきっかけになるかもしれません(表1)5)。

『黴瘡約言』(浅井南皐著,1802年)に遊廓の娼妓の3割が梅毒という記載があります。杉田玄白は『形影夜話』(1810年)の中で,自身の診療所を訪れる患者の70~80%は梅毒に罹患しており,「梅毒ほど世に多く難治にして人の苦悩するものはなし」と記しました6)。江戸時代の梅毒罹患率は,人骨調査による推定で5.4%であり,武将が梅毒に罹患していたとの記録もあります。
1876年の梅毒罹患者の強制入院の開始に続き,1928年の花柳病予防法では,性感染症に罹患していることを知りながら業務(性交渉)を行った性産業従事者(commercial sex worker:CSW)への懲役を規定しました。この経緯は人々に性感染症の原因がCSWであるかのような印象を与えた可能性もあります。オーストラリアの調査では,CSWの性感染症罹患率が非CSWより高い根拠は示されていません。歴史的経緯からも,梅毒は誰しもが(性交渉や先天梅毒により)罹患しうる病気,コモンディジーズと表現できます。
❸ 梅毒のいま
WHOは,15~49歳の新規梅毒感染者数は2022年の1年で100万人以上増加し,全世界で800万人に達したと報告しています。特に米国・アフリカで激増し,アフリカでは60%以上の新規感染者が低~中所得国から報告されています。世界全体では成人男性全体の梅毒有病率は0.5%前後ですが,MSMおよびゲイ男性では7.5%,女性CSWとその顧客間の罹患率は高いままです。
梅毒は15万例の胎児死亡・死産,7万例の早期新生児死亡,5万5000例の早産・低出生体重児,70万例の先天梅毒に関与し,米国の新生児梅毒は10年間で10倍に増加しています。米国での単一施設の調査ですが,梅毒に合併していた性感染症は,クラミジア(20.5%),HIV(9.1%),淋菌(6.8%),HCV(2.3%)でした。
国内の梅毒は2010年より急増し,2023年度は1万4906例と最も多く,2024年度は1万4663例と報告されています。全国で最も報告数の多い東京都では2022年度以降,年間3600例を超える報告が続いており,2024年度は3760例(男性:2462例,女性:1298例)でした(図1)。年間30例程度の地域もあり,診断されることなく梅毒に苛まれている方々がおられるのかもしれません。

男性では20~59歳,女性では20~29歳が突出して多く,男性の40%前後に6カ月以内の性風俗産業の利用歴,女性の35%に性風俗産業の従事歴がありました。性風俗産業と無関係な金銭授受を目的とした不特定の性交渉(SNSを用いたパパ活など)の多様化によって,性感染症のスクリーニングが個人の判断に委ねられています。梅毒の曝露リスクが高い集団(CSWやMSM)に限定することなく,潜在的な梅毒患者の早期発見が重要です。