医療費抑制政策は1981年に始まった
日本の医療費抑制政策は、1980年代初頭から始まりました。その出発点は、1981年6月の診療報酬の事実上のマイナス改定です。実は、1970年代までは、医療界には「医療機関は倒産しない」との「神話」があったのですが、この改定の前後から、病院・診療所の倒産が多発するようになりました。その結果、1980年代後半〜90年代には、医療界では「医療冬の時代」という悲観的な見方がまん延しました。
私は「医療は永遠の成長産業」と主張
それに対して、私は1986年以降、それを批判し、医療は今後も「(永遠の)安定成長産業」であると主張し続けています。
これの最大の根拠は、厚生省自身が、国民医療費の国民所得に対する割合は長期的に漸増すると繰り返し「推計」していることでした。最初の推計は、1986年の「高齢者対策企画推進本部報告」です。
最近でも、私は、コロナ危機直後の2020年5月にも、「コロナ危機は中期的には日本医療への『弱い』追い風になる」と予測しました(『日本医事新報』5013号、58頁)。
医療費のGDPに対する割合が長期間漸増していることは、日本だけでなくすべての高所得国に共通する現象で、例えば高名な財政コンサルタントのマーク・ロビンソンは以下のように述べています。コロナ危機後の「これからの30年という時間枠で」みると、「医療、気候変動、介護はすべての国の政府が今後支出を増やさざるをえない」「これは『大きな政府』論者が政治的に勝利するからではない。政府のイデオロギー上の姿勢とは関係なく、政府支出に大きく影響する外部要因の圧力の結果として、大幅な支出増が起きる」(『政府は巨大化する』日本経済新聞出版、2022年)。
しかし、その後、2022年から3年連続で、医療費・社会保障費抑制の3つの逆流が生じました。