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あのね、かなちゃんに聞いてほしいことがあるの

緩和ケアが音楽を奏でるとき

緩和ケアと音楽療法とのハーモニー

決して勝つことのできない病との闘いの中でいかに自分らしく“生ききる”かを模索する人,遺してゆく家族を案ずる人,未曾有の大災害で愛する者を失い心に深い傷を負った人。そうした人々を支える緩和ケアに音楽療法を取り入れ,着実に効果を上げている現役外科医による渾身のエッセイ。
緩和ケアの中で音楽療法が「音楽の処方箋によって何かが治癒したり改善したりするのではなく、その唇の上に、その心の中にもともとある音楽を呼び覚ますこと、己の中にある答えに自らの力で到達することの支え」を患者さんにもたらした実例をご紹介します。

決して勝つことのできない病との闘いの中でいかに自分らしく“生ききる”かを模索する人,遺してゆく家族を案ずる人,未曾有の大災害で愛する者を失い心に深い傷を負った人。そうした人々を支える緩和ケアに音楽療法を取り入れ,着実に効果を上げている現役外科医による渾身のエッセイ。
緩和ケアの中で音楽療法が「音楽の処方箋によって何かが治癒したり改善したりするのではなく、その唇の上に、その心の中にもともとある音楽を呼び覚ますこと、己の中にある答えに自らの力で到達することの支え」を患者さんにもたらした実例をご紹介します。

儀賀理暁 (埼玉医科大学総合医療センター呼吸器外科准教授・緩和ケア推進室室長)
判型B6判 ページ数200 刷色単色部分カラー 版数1 発行日2017年01月25日 ISBN978-4-7849-4334-0 診療科
紙の書籍
税込1,980
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目次

「今、春が来て……」 まえがきに代えて
プロローグ 「私、いつまで生きられるの?」
第1章 「こんなお母さんでごめんね」
第2章 「生ききる、ゆたかに」
第3章 「幸せだなぁ」
第4章 「出番だよ」
コラム 「聴かせてください、あなたの音」 植木亜弓
第5章 「私は毎日写真を撮りたい!」
第6章 「Amazing !!」
エピローグ 「お父さんの口紅」

レビュー

儀賀理暁(埼玉医科大学総合医療センター 呼吸器外科・緩和ケア推進室)

自著紹介『あのね、かなちゃんに聞いてほしいことがあるの 〜緩和ケアが音楽を奏でるとき〜』

福澤諭吉の「贈医」という漢詩は「あらゆる手段を尽くしてこそはじめてそこに医業の真諦が生まれる」としめくくられます。福澤先生は「あらゆる手段を尽くした医業の真諦」という言葉で、医師に何を届けようとしていたのでしょう。今風に言えば、「医師よ、プロフェッショナルであれ」というイメージでしょうか。 Professionの語源は、Profess(信仰を告白する)という宗教的な言葉です。中世ヨーロッパの大学は一般に神学・法学・医学の三つの学部から成り、当時プロフェッションが意味するところは、聖職者・弁護士・医師に限られていました。医師、特に私たち外科医の生業は、それ以外の者が行えば傷害罪となる行為です。それが赦されるのは、私たちがプロフェッションとして認められているが故に他なりません。 手術をはじめとする侵襲的、積極的治療をもって病を治癒せしめることの価値を極めつつもその限界を認め、しかしあきらめることなく、医療の言葉では語り切れない人の生きざまに思いを馳せ、病とともに喪失したその人自身の再構築にそっと手を添え、人の「生きる」を支えること。それこそが「あらゆる手段を尽くした医業の真諦」、先生が私たちに求めたプロフェッショナルとしての在るべき姿ではないでしょうか。 日本医事新報社よりお声がけ頂き、私が一人の外科医として緩和ケア医としてこれまでにご縁を頂いた方々の生きざまを、彼らの大切な一日一日を、音のある風景とともに描いてみました。売り上げは本文中に登場する東日本大震災にて甚大なる被害を被った岩手県上閉伊郡大槌町へと寄付致しますので、ご無理のない範囲でお手に取って頂ければ幸いです。 「今日も、生涯の一日なり」 福沢諭吉 刀林 第109号より一部改変

高橋 都(国立がん研究センターがん対策情報センターがんサバイバーシップ支援部長)

今を生きる人間の生き様を、『医療のことば』ではないかたちで伝えてくれる1冊

本書は、音楽療法について解説した書籍ではない。今ここをいかに生きるか、何を大切にしたいかという問いに対して、患者や家族が自分たちなりの「答え」を見出していくことに真摯に寄り添う緩和ケアチームの記録である。そして、そこにはいつも大切な媒体として、音楽が流れている。 著者自身、音楽療法という「やや魔法のような言葉」に出会ったときには、「いつ、だれが、どこで、どんな楽器で何の曲を演奏すればよいのだろう」と考えたという。医療の世界では、それが音楽でも森林でもアートでも、「療法」や「セラピー」という言葉がついたとたん、専門家が何かを治す道具に聞こえてしまう。しかし本来、懐かしい歌や風のそよぎによって結果的に自分が癒されること、あるいは何かに気づいていくこと(著者はそれを「再構築」と表現している)は、専門家による治療的試みとはまったく別物だろう。 「そうか、僕たちが緩和ケアの中で音楽に期待しているものは、音楽の処方箋によって何かが治癒したり改善したりすることではなく、その唇の上に、その心の中にもともとある音楽を呼び覚ますこと、つまり己の中にある答えに自らの力で到達することの支えだったんだ」と著者は書く。 本書では、緩和ケアチームの記録に加えて、著者と仲間たちが岩手県の大槌町で続けた「お医者さんのお茶っこ」活動や、釜石市の中学校における「いのちの授業」の様子も紹介されている。「お茶っこ」に参加した音楽療法士が、「音楽にこだわるのはやめよう。できることは何でもしよう」と考え、被災者とボランティアという関係を超えて歌をつなげていくエピソードは特に印象深い。 本書は、音楽が明らかに主役でありながらそうとも言えない、少し不思議な本である。しかし、今を生きる人間の生き様を、「医療のことば」ではないかたちで伝えてくれるのは間違いない。

正誤表

下記の箇所に誤りがございました。謹んでお詫びし訂正いたします。

後ろから2行目

〈誤〉…回腸人工肛門増設、横行結腸粘液瘻増設…→〈正〉…回腸人工肛門造設、横行結腸粘液瘻造設…