株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

1921-1930

登録日:
2021-02-02
最終更新日:
2021-02-02
1921年(大正10年)
号数
記事
1
2
5
『創刊号』 「宣言」、「指針」實地家の陥り易き誤り、「重要問題」妥恊案全く破れ、再び劍戟の間に相見えん-日本藥剤師會昂然として宣戦す、大日本醫師會側の對應策は如何。「講演」歐洲戰争に用ひられたる毒瓦斯に就て など
5
3
15
大日本醫師會-北島多一博士の談『醫藥分業になった曉には』を小冊子と爲し都會地各醫師會へ配布す
12
5
25
業務上使用すべき廣告制限問題起る-「米國醫學博士」や「人膽液注射」偖は「治療責任」の怪廣告珍廣告
1922年(大正11年)
号数
記事
33
1
1
健康保險法案公表せらる-目下主として保險法のみ研究、但し豫め大に警戒を要す可し
43
4
5
第6回日本醫學會總會の大盛況-善隣の巨頭を迎へ、各分科會燎爛の櫻花と競ふ
62
10
15
關西の風雲極めて急也、醫業不安の危機到る-破綻は一角より動亂は全般へ
63
10
25
「伯林より申上候」弊社伯林特派員・中西賢三
67
12
5
詩人大使クローデル來賓にパストール記念祭の盛況-パ氏の功業を追慕して集まる醫、理學界の碩學200有餘名
1923年(大正12年)
号数
記事
94
9
15
関東大震災-震災來!!!。本社消息。燒失せる病院
95
9
25
関東大震災-『地震談』 「安政大地震の實驗者」石黒忠悳 「救護班の決死的活動-死傷實に數十萬に達する空前の惨害に全國の大學、醫師會、日赤支部より來援す
100
11
25
日本醫師會の設立茲に終る-法定化の歡びに活氣横溢の總會
100
11
25
日赤天幕病院の印象
1924年(大正13年)
号数
記事
128
8
15
爲政者衞生事業に就き善處するの覺悟ありや-若槻内相は衞生問題に言及せず、山田衞生局長また止むを得ないと!!
130-1
9
5
合併号『復興記念および日獨醫界交歡記念號』 寄書「日獨醫學の提携は將來益々親密なるべし」林春雄、ヒス教授ほかドイツ医学界から寄書
130-1
9
5
叢談「脚氣研究の回顧」石黒忠悳
136
10
25
法定後第2年の日本醫師會總會の盛況-神宮外苑憲法記念會館に
137
11
5
體育研究所官制決定
139
11
25
説苑「三たび歐米を訪ねて(上)」志賀潔
1925年(大正14年)
号数
記事
143
1
1
弊社「伯林版」の發行に對し獨逸碩學より讃辭頻に到る-伯林日本醫師會の機關たると同時に日獨學界の親善に多大の貢献あらん
150
3
15
原案を殆ど骨抜きにして混販問題の解決された日-栗本案遂に中央衞生會總會に可決さる-直に法制局及び閣議の審議を終りて
151
3
25
衆議院本會議に於ける上程劈頭の大論戰-八代議士交々壇上に立ち前後4時間に亘る、若槻内相と片岡次官論難攻撃の矢面に立つ
152
4
5
説苑「結核豫防の急務」北里柴三郎
158
6
5
脚氣の研究に新紀元を劃すか-脚氣病調査會最後の報告-問題の中心はヴイタミンB缺乏説
168
9
15
コレラの病毒は關東地方に特に濃厚也-初發以來既に104名の患者、防疫官總動員で必死の防備
170
10
5
日本醫學會の統一成る、舊套を脱し新趣好の明春開催の第7回總會。朝鮮醫學會第13回總會
175
11
25
外國技術官の目に映じた我が國の衞生施設-國際衞生技術官批判會議
176
12
5
連絡委員を設け國際聯盟衞生部に接近-醫界近來の快擧
1926年(大正15年)
号数
記事
192
4
4
第7回日本醫学会總會の盛況-來會者約4000と註せられ、安田講堂の階上階下を埋め盡す
206
7
11
ペストの侵襲に際し防疫當局の豫防施設-鮮やかになつた防疫方針、この際死體檢案を怠るな
220
10
16
斯界の時代を劃す「健保」醫療契約案が日本醫師會より發表さる-請負總額は總計約1100萬圓、社會局使途を「日醫」に一任す
222
10
30
『健康保險特輯號』健康保險法規集
1927年(昭和2年)
号数
記事
231
1
1
謀慮折衝の裡に年明けて「健保」醫療給付茲に開始-當事者は愼重誠意を説き、斯界尚ほ不安の跡絶たず
231
1
1
愈々給付實施となった健康保險の立役者4人-政府の意嚮と醫界の要望
1928年(昭和3年)
号数
記事
282
1
1
寄稿「ローベルト・コッホ(1)」長與又郎
294
3
31
設苑「ソウエート露西亞を瞥見して」子爵・後藤新平
296
4
14
罰則を削除し骨拔きとして處方箋省令公布せらる-日本醫師會漸く胸を撫で下ろす。幸に罰金刑の附設を免れしも、藥劑師側の策動に注意を要す
301
5
19
説苑「國際聯盟に於ける性病豫防事業(上)」新渡戸稻造
315
8
25
注目すべき療養給付方針、船員保險法の要綱全文-社會局參與會議に附議せらる
329
12
1
又候頭を擡げた「健保」の醫藥分業問題-日本藥劑師會が社會局に藥劑支給は本會一任へと建議-醫業界の刮目を要せん
330
12
8
保險醫の金科玉條たる「健保」診療方針公表さる-社會局苦心10箇月の作
1929年(昭和4年)
号数
記事
363
7
27
内相諮問救療施設普及に關し、全國醫師會の答申意見成る-日醫は綜合統一して作製す。
1930年(昭和5年)
号数
記事
399
4
5
第8回日本醫學會-萬國醫學會の實を兼ねて大阪に開く
413
7
12
眞摯熱烈の氣分横溢せる日本醫界刷新聯盟創立總會-不覊獨立の立場を確守して醫政調査と實行に邁進せん

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