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【読者アンケート結果】We doctors exist for the patients(4月テーマ:新研修医に贈る座右の銘)

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  • 研修医時代の思い出で特に印象深いエピソード(4月アンケートの自由記載欄より)

    ●研修医の頃、入院患者のお孫さん(幼稚園女児)が「先生、似顔絵描いてあげる!」と言うので5分ほどで描いてもらった。似ても似つかない稚拙な画だが書斎に飾ってある。今でもこれを見るたびに癒され、寿命が数年延びるような気がする。(東京・開業医)

    ●2年目の研修医が1年目の我々に対して先輩風を吹かしていたが、上級の先生から間違いなどを指摘され、ひどく怒られていた。(大阪・勤務医)

    ●昭和43年3月にインターン制度廃止第一回生として卒業しました。春の国試はボイコットしました。新宿の中央鉄道病院(現JR東京総合病院)で研修を始めました。同年12月10日、新宿駅南口甲州街道沿いに重装備した警官がたくさん立っていました。府中の3億円強奪事件です。時効成立、犯人はカネを使ったのでしょうか。使えたのでしょうか。(神奈川・開業医)

    ●半世紀以前のインターンでした。田舎の病院は泊まり込みなので一旦急患があれば外来に手術に駆り出されました。しかし、夏は登山、冬はスキーと楽しんだのです。(兵庫・開業医)

    ●研修医時代の上司から「患者さんだけじゃなく家族とも仲良くなったほうがいい。何か問題が起きた時、家族とも仲良くしていたほうがうまくいく」と教わったことがあり、記憶に残っています。(福岡・勤務医)

    ●今のような初期研修医制度が始まる前の世代ですが、当時は希望の科に入局して2年間が研修医でした。大学での研修医受入れ枠より入局者が多かったので、私は1年目の研修を市中の関連病院で行いました。1年間で受け持ち患者を6人看取りましたが、そのうち5人の剖検を行うことができたことが思い出です。(東京・勤務医)

    ●研修医時代はいろいろな診療科をローテーションします。それぞれ初めての手技があり、なれないことも多いと思います。初めからできる医師もいないので、下積み生活から始まります。いつもホームランを狙うより、外野にこぼれてくる球拾いをして精度を高めていくことで、いつかチャンスが訪れた時にその経験が生かされます。そのため、いつも球拾いをして練習に励むように頑張ってきました。(大阪・勤務医)

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