株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

CLOSE

「東北、阪神、そして台湾」[長尾和宏の町医者で行こう!!(59)]

No.4793 (2016年03月05日発行) P.17

長尾和宏 (長尾クリニック)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-27

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • next
  • 阪神の5年後、東北の5年後

    東日本大震災から5年が経過しようとしている。あらためて多数の犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。また震災以降、今日までご尽力されてきたすべての皆様に敬意を表します。

    さて、被災地における復興の足音は地域によって様々であろう。特に福島県では原発の影響でいまだに震災直後のままになっている地域もある。確実に言えるのは、東北は阪神淡路大震災後の復興スピードより遅いということだ。阪神の5年後といえばマンションの再建や街の再開発計画で揉めていたりもしたが、総じて着々と復興が進んでいた。その主な理由は大阪という大都市の被害が少なかったことや、被害が阪神間~淡路島という比較的狭い地域に限定していたことがある。一方、東北の被災地はあまりに広大で、大半が人口密度が高くない地域である。

    私は2011年7月11日、すなわち東日本大震災からちょうど4カ月目に東北の復興に関する提言を書いた。『共震ドクター~阪神そして東北』(ロハスメディア)という本である。いわゆる二重ローンの問題、孤立死の問題、そして防災に関する提言等を「無常素描」という記録映画とともに発信した。阪神での教訓を東北の復興になんとか活かして欲しいという一念で、急いで出版にこぎつけた。しかし出版時期があまりに早すぎたのか、残念ながら本書は多くの人の目に触れることなく勇み足に終わっている。そして震災から5年が経過した今、本書を読み返してみて、「これは震災から5年経ったころに出すべきだったな」と少々反省しているところである。

    たとえば仮設住宅での引きこもりに伴ううつ、肥満や糖尿病、アルコール依存症、孤独死などの増加が今ごろになって報道されている。私は阪神での経験から早晩必ずこうなると確信していたのだが、仮設住宅に多数の支援者が入っていてもなかなか二次災害を食い止めることはできない厳しい現実が続いている。災害看護の第一人者であった故・黒田裕子看護師がもし生きておられたら、気仙沼市立面瀬中学校の仮設住宅に今も泊まり込んで支援活動を続けていたはずだ。私も何度か被災地に足を運んだが、たいした力にもなれていない。被災地の本当の復興はこれからだと知っているのに、自分に何ができるのか自問自答する日々である。

    残り2,251文字あります

    会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する

  • next
  • 関連記事・論文

    もっと見る

    関連物件情報

    もっと見る

    page top