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「大災害で医療はどう変わるか」[長尾和宏の町医者で行こう!!(46)]

No.4737 (2015年02月07日発行) P.17

長尾和宏 (長尾クリニック)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-03-09

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  • 阪神から20年、東北から4年

    阪神・淡路大震災から20年を迎えた。1995年1月17日は、私自身にとっても大きな転機であった。頭をガーンと殴られたように無我夢中で過ごしたあの冬。往診がしたくて春には病院を飛び出し尼崎で開業した。仮設住宅を回るうちに自然と在宅医療が始まっていた。まだ介護保険がない時代だったので、訪問看護もやりやすかった。震災後20年はイコール開業20周年。感無量で1.17を迎えた。

    一方、来月11日には東日本大震災から丸4年を迎える。阪神を体験した者として東北は決して他人事ではない。現在も医師会をはじめ、さまざまな団体や個人が献身的な医療支援を続けている。私自身も微力ながらも支援を続けている。しかし東北の被災地はあまりにも広すぎる。阪神の場合は、表面的には予想より復興は早かった。しかし東北は阪神とは事情があまりにも違う。

    黒田裕子さんが残したメッセージ

    少し話が飛ぶが、昨年9月23日に看護師の黒田裕子さんががんで旅立たれた。黒田さんは日本ホスピス・在宅ケア研究会の副理事長として私を指導してくれた在宅医療の大先輩。病気が発覚してわずか1カ月後の旅立ちは、あまりにあっけなく未だに実感がない。

    私は阪神大震災の3カ月後に病院を退職したが、黒田さんは震災当日に病院を飛び出したまま帰らなかった。公立病院の副看護部長の職を投げ打ち体育館の被災者に寄り添い続けた。20年間、無給の身を貫き、講演料はすべて活動資金に充てた。国内外の大災害があるたびに真っ先に被災地に飛び込んだ。東日本大震災でも気仙沼の面瀬中学校の仮設住宅を拠点として仲間たちと医療支援を続けてきた。

    私の耳に残っている黒田さんの口癖は、「もっと寄り添わないと」「孤独死を出さない」「ボランティアは絶対に迷惑をかけてはいけない」などなど。災害看護という道を切り開かれたが、後進への指導は厳しかった。座右の銘は「人生の旅の荷物は夢ひとつ」。この言葉の通りカバンひとつで国内外を飛び回っていた黒田さんは、多くの医師にも影響を与えた。本誌に執筆されている梁勝則先生とともに黒田さんの遺志を受け継いでいかねばと、彼女の死を受けとめている最中にいる。1月30日放送のNHKスペシャルでも彼女の20年の軌跡が紹介されたが、多くの先生方と黒田スピリット、ホスピスマインドを今後もシェアさせて頂きたい。

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