1939年に発表されたアガサ・クリスティーの『殺人は容易だ』(高橋 豊訳、早川書房)は、英国のとある村で連続殺人事件が起きるという作品であるが、この村で最近亡くなったハンブルビー医師については「みんなにとても好かれていた」「貧しい階層のあいだでは非常に愛されていました」「彼はほかの医者がさじを投げた多くの患者を、彼の人格の力で治した」などと描かれているように、村人の信頼が厚い医師だったことがわかる。
一方、彼のパートナーとして働いていた若手のト-マス医師は、「優秀な一流の医師」でありながらも、「断然人をひきつける魅力をもっていたハンブルビーの陰にかすんでしまっていた」。
トーマスは、30歳を超えていたのに20歳代初めのような容貌をしていたのだが、実は「未熟なように見えながら、リューマチぎみなルークの膝について診断した彼の意見は、つい1週間前にハーリー・ストリートのある著名な専門医に診てもらったときのそれとほとんど一致していた」。
またトーマスは、「進歩のさまたげになるようなやつは排除すべきだ」という元警官ルークの優生学的な意見には、「ある人が適格者であるか不適格者であるかを、だれが判定するのですか」と疑問を呈していて、ルークが「偏見のない、きわめて識見の高い人─たとえば、医師なども考えられるでしょう。そういえば、あなたなんかはりっぱな審判者になれそうですよ」とおだてても、「生きるのに適さない人を決める?」「ぼくの仕事は不適格者を適格者にすることです。多くの場合、それは骨の折れる仕事ですがね」と反論した。
さらにトーマスは、「あなたはこんなところに埋もれてしまうのを─才能を発揮する機会に恵まれていないことを─不満に思っていらっしゃるのではないか」というルークの指摘に対しても、「いいえ、一般診療はだいじな出発点なんです。貴重な経験です」と、きっぱり否定するのだった。
ここでル-クが主張する医師による適格者・不適格者の選別は、この作品が発表された1939年はまさにナチス・ドイツによる病者・障害者を対象とした「安楽死計画」が実施された年であることを思うとき、それに異を唱えるトーマスの反ナチス的な姿勢は明らかで、『殺人は容易だ』という作品名自体にもナチス批判が込められているのではないかと思えるほどである。
なお、トーマスが地域での一般診療の重要性を認識しているあたりには、アガサが理想とする医師像の一端がうかがえるが、そういえば1934年に発表された『ミス・マープルの思い出話』(中村妙子訳、早川書房)にも専門医と地域の開業医を比較して、「近ごろではとかく専門医の見解の方を重んずるのが流行のようですが、私は同意しかねるのです。専門医には自分の専門の領域での経験しかありません─一方、町医者の方は知識の量は少ないかもしれませんが─広汎な経験をもっています」といった当時の英国にも存在したらしい専門医の偏重に反対する記述がある。