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アガサ・クリスティーの『カーテン』─続・文学にみる医師像[エッセイ]

登録日: 2026.08.16 最終更新日: 2026.08.16

高橋正雄 (筑波大学名誉教授)

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1975年に発表されたアガサ・クリスティーの『カーテン』(田口俊樹訳、早川書房)は名探偵ポアロの死と彼の最後の事件を描いた作品として知られているが、この作品にはフランクリン博士という35歳の医師が登場する。

博士は「熱帯の風土病を研究している」医師である。「長身痩躯」の博士は、「とても研究熱心な方で、熱帯医学の分野ではすでに第一級の研究をなさってる」と評価されているだけでなく、妻からも「主人はほんとうに天才ですの。ああいった振る舞いからもわかるでしょう。わたし、ほんとうに主人のことを崇拝しています」と称賛されるような男だったのである。

実際、彼は「実に頭のいい男」で、「学生時代には最も優秀な医学生のひとりだった」が、その一方で「開業医としてはおそらく成功しないでしょうね。いわゆる“ベッドサイド・マナー”なるものを充分に身につけていませんから」と言われるように、根っからの学究肌で、決してすぐれた臨床医ではなかった。「彼の優秀さは、彼を新聞に載るような著名人にしたり、有名医が集まるハーリー街での評判をもたらす類いのものではありませんでした。彼は一握りの同業者に名を知られ、学会誌に論文を発表するだけでした。外の世界が彼の名を知ることはありません。さらに金持ちになることもまず望めませんでした」。

こうした彼の臨床医としての不適格性は、「あの藪医者は試験管やら西アフリカの土着民やら文化やらにしか興味がない」といった興味・関心の限局性の他に、幾つかの発達障害的な特性を併せ持つ資質にも由来しているようである。というのも博士には、「これほど不器用な男には会ったことがない。いつもぼうっとしていて、すぐに何かにぶつかる」「ひとつのことを考えると、どうもそのことしか眼にはいらなくなってしまって」といった不器用や過集中といった問題とともに、自分の言動が周囲に与える印象に無頓着という特徴も認められるからである。

すなわち、博士は、妻が自殺か他殺かわからない状況で亡くなったというのに、「世間並みの服喪などほとんどしていなかった」し、かねて望んでいたアフリカでの研究職が決まるや否や「以前より生き生きとして見えた」というから、「どこまでも無情なやつです。妻を亡くして平然としてるんだから」「風変わりで、人情のかけらもない男」と周囲から非難されても仕方のない部分もある。

これは1942年にアルベール・カミュが発表した『異邦人』のムルソーを思わせる特徴でもある。ムルソーは母親の遺体を前に煙草を吸ったりミルク・コーヒーを飲んだりしたためにその非人間性を非難される。しかし、博士の場合は、「やさしく愛情深い夫」「高い道徳心を持った男」「ある種の聖人」など、基本的には善良・純粋な人間として肯定的に描かれているところをみると、アガサ・クリスティーはフランクリン博士のような発達障害的な特性を有する人間も、一人の愛すべき人間として評価していたようである。


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