2. 肺塞栓症早期多発の背景─アンケートに基づく考察
なぜ熊本地震ではこれほど早く,多くの肺塞栓症患者が発生したのだろうか。新潟県中越地震では11人の肺塞栓症患者が発生しているが,地震後2~14日に比較的まんべんなく分布していた1)。2014年に日本循環器学会が発表したガイドラインでも,肺塞栓症は地震後4~7日に多いとされている2)。しかし,当院を受診した肺塞栓症患者は地震後2~3日目に集中して多発していた。特に4月18日は重症度が非常に高く,半数(2/4人)がcardiac arrest/collapse typeであった。しかし,cardiac arrest/collapse typeの2人の車中泊期間をみると,最短例(8時間)と最長例(4泊)がともに存在しており,重症度と車中泊期間には有意な関係はないと考えられた。
早期発症の原因検索のため,車種,姿勢,同乗者,ライフラインやトイレの状況,エコノミークラス症候群についての知識や予防法の実践等について,後日アンケート調査を行った。以前に報告されたものでは,エコノミークラス症候群発症リスクが高いものとして,セダンや軽自動車,全席着席,長期の車中泊,女性,眠剤服用などが挙げられていた。熊本地震でも新潟県中越地震と同様,ほとんどが同乗者とともに狭い車内で坐位または半坐位で過ごしていた。また「平成21年全国消費実態調査」3)によると,最近の大地震発生地域の自動車保有率はどの地域も90%強と,地域差はほとんど認めなかった。
エコノミークラス症候群について聞いたことのあった人は57%(4/7人),そのうち3人は予防法まで知っていた(43%:3/7人)。エコノミークラス症候群の予防には,一般的に水分摂取,下肢の運動,弾性ストッキングの着用等が効果的とされている。
水分摂取については,半数以上がしっかり摂っていたと答えたが,実際に摂取した水分量を聞いてみると1日で500mL程度であった。一般的に必要な水分量は1mL/時/kg以上とされており,決して十分な量を摂取できてはいなかった。実際に当院外来を脱水症で受診した患者数をみると,地震後,特に本震後は著増していた。これはもちろん,全員が車中泊とは限らないが,トイレに行かないように水分を控えていた例や,水自体が手に入らず水分摂取ができていなかった例も多くみられた。また,4月中旬の熊本は,外気温はまだそれほど高くなくても,車内は比較的高温になっており,新潟との大きな違いと考えられた。震災関連ではないが,WHOの報告では,4時間以上のフライトはエコノミークラス症候群のリスクとされている4)。特に脱水になりやすい状況では,短時間でも十分に肺塞栓症を発症しえたのではないかと考えられた。
下肢運動については狭い車内という状況のためか,実行していたのは29%にすぎなかった(2/7人)。
弾性ストッキングに関しては,着用していた人はいなかった。被災地での弾性ストッキング着用については,疫学的検討は十分ではないが,3泊以上の車中泊が必要な場合は着用が望ましいとされている。脳卒中後等,弾性ストッキングの効果が否定的な分野もあるが5),被災地においては着用することのリスクよりもベネフィットのほうが大きいと考えられる6)。
3. 肺塞栓症予防のために
エコノミークラス症候群は,姿勢保持などが原因で深部静脈にできた血栓が肺動脈に詰まり肺血栓塞栓症を起こしたものである。前駆疾患としての下肢深部静脈血栓症(deep vein thrombosis:DVT)では,下肢の疼痛や浮腫を訴えることが多い。このような症状を認めた場合,できるだけ早めに医療機関を受診して肺塞栓症を予防することが最も重要である。
新潟県中越地震の際に作成されたガイドラインでは,下肢血管エコーとD-ダイマー値を軸としてリスク評価し,治療方針を決定するようになっている2)。しかし,震災時の医療資源が限られている状況では,どの施設も下肢血管エコーとD-ダイマー値測定を両方できるとは限らず,スクリーニングも通常のようにはうまくいかないこともある。当院では両方の検査が可能であったが,エコー技師の人員も限られていたため,症状が軽度の患者やリスクの高くない患者に対しては,D-ダイマー値のみで方針を決定していた(図3)。D-ダイマー値はあくまでも除外診断なので,肺塞栓症が強く疑われる場合には造影CTを施行することとしていた。

また,来院前のスクリーニングも非常に重要である。新潟県中越地震後に実施されたエコーによるDVT検診では,特に震源地に近い地域の車中泊・避難所でのDVT陽性率が高かったと報告されている7)。車中泊や狭い避難所での避難生活など,体を自由に動かすことの難しい状況では,どうしてもDVTができやすくなる。特に若い女性では,トイレを我慢するために水分摂取を控えることでさらにリスクが上昇することも多く,被災地では清潔なトイレの設置が急務であると言える。
以上,2016年4月の熊本地震の際に発生したエコノミークラス症候群について報告した。これまでの報告よりもかなり早期からエコノミークラス症候群が多発していた。余震も続く被災地で車中泊はやむをえない部分も大きいが,“良い”車中泊のためには,継続期間以上に過ごし方が重要と考えられた。十分な水分摂取,下肢運動,可能であるなら弾性ストッキング着用等がエコノミークラス症候群のリスクを低下させる可能性があると考えられた。
〔謝辞〕
最後になりましたが,熊本地震の際には,全国の皆様方には本当にたくさんのご支援を頂き,心より感謝申し上げます。
●文献
1) 榛沢和彦:呼吸と循環. 2012;60(9):897-901.
2) 日本循環器学会:災害時循環器疾患の予防・管理に関するガイドライン. 日本循環器学会, 2015.
[http://www.jpnsh.jp/Disaster/guidelineall.pdf]
3) 総務省統計局:平成21年全国消費実態調査.
[http://www.stat.go.jp/data/zensho/2009/]
4) World Health Organization:WHO Research Into Global Hazards of Travel(WRIGHT) Project. Final Report of Phase 1. [http://www.who.int/cardiovascular_diseases/wright_project/phase1_report/WRIGHT%20REPORT.pdf]
5) CLOTS Trials Collaboration:Lancet. 2009;373(9679):1958-65.
6) 榛沢和彦:血圧. 2011;18(8):740-5.
7) 榛沢和彦:心臓. 2014;46(5):569-73.
他科からのQuestion
Q1 災害時のDVTスクリーニングはどのようにすべきでしょうか?
A1 エコノミークラス症候群を発症した方のほとんどは,発症前に下腿の痛みや重苦しい感じを自覚していました。少なくとも下腿の症状がある方に対しては,可能な限り下肢血管エコーを施行,もしくは専門医へのコンサルトをお願いします。
Q2 車中泊はやめさせるべきでしょうか?
A2 DVTの観点からだけみれば,決して推奨できませんが,自宅倒壊等で危険な場合はやむをえないと思います。そのため,“良い”車中泊のやり方,すなわち適度な運動と十分な水分補給を,様々なメディアを通じて啓蒙すべきであると考えられます。