解剖実習の意義と心理的負担
医学生のときに苦労したことのひとつに、解剖実習が挙げられます。解剖実習は基礎医学の初めに実施され、献体されたご遺体を用いて人体の正常構造を学ぶとともに、医師になる上での倫理観を身につける重要な機会です。しかし、亡くなった方のお体を目にすること、また、そのお体にメスを入れることに、最初は不安や恐怖心を抱く学生も少なくありません。
解剖学は看護学生をはじめ、医療系学部・学科の学生も学びます。看護学生の多くは1年次に系統解剖の見学を行っており、救急救命士養成課程でも、約3割の学校で解剖見学実習が行われているそうです。
なぜ解剖実習で倒れてしまうのか
このような解剖実習や見学の際に、気分が悪くなる学生や、倒れてしまう学生が散見されます。これは血管迷走神経反射によるものです。何らかの恐怖やストレスなどが原因で交感神経が抑制され、血管拡張と迷走神経の緊張が生じます。その結果、徐脈や血圧低下をきたし、失神に至ります。多くは失神の直前に頭重感、嘔気、眼前暗黒感などの前駆症状がみられ、立位や同一姿勢を維持しているときに発生しやすいとされています。
したがって、血管迷走神経反射による失神では、倒れる際に頭部や顔面を打撲することが危惧されます。器質的疾患がない際には、しばらく安静にすることで回復します。
法医解剖における気分不快の発生傾向
法医解剖は、死因究明や事故・犯罪の解明を目的に行われます。そこには警察官や検察関係者など、医療従事者以外の方も立ち会われます。
ある施設では、法医解剖時に気分不快を訴えた人の割合が調べられました。また、解剖に参加した関係者の背景などをもとに、解剖立ち会い時の気分不快につながる因子が検討されました。その結果、1.5%の人が、めまい、頭重感、嘔気、眼前暗黒感などを訴えており、女性に多い傾向がみられました。また、解剖に初めて参加する人ほど気分不快を訴える傾向がありました。
さらに、多変量解析の結果、警察官や検察官などになって2~5年目の方は6年目以上の方と比べて約8倍、また、解剖への立ち会いが初めての方は、2回目以降の方に比べて約7倍、気分不快を経験しやすいことがわかりました。なお、法医解剖は空調などが管理された場所で実施されるため、この検討では気候などの環境要因との関連は認められませんでした。
失神を防ぐためにできること
一般的には、前日に十分な睡眠をとること、食事を欠かさず、十分な水分摂取を行うことが、失神の予防に重要と言われています。
また、この研究からは、医療関係者以外であっても、解剖への立ち会いに伴う気分不快は、経験を重ねることで克服される可能性が高いことがわかりました。医療系学生も同様で、最初は解剖実習や見学時に気分不快を訴えていても、日々経験を積むことで慣れるようになります。
特に重要なことは、何らかの前駆症状があった際には、無理をせずに、その場を離れて安静にすることです。解剖実習や見学が貴重で重要な機会であることは間違いありませんが、失神で倒れることを避けるほうが大事です。
私たち先輩は、医療系学生や解剖に参加する職種の若い方々に、こうした助言をすることが重要です。皆、通ってきた同じ道なのですから。