2025年10月30日、第84回日本公衆衛生学会総会のシンポジウム「HPVワクチンと接種後症状─安全性についての報道,疫学,裁判の視点からの論点」が開催され、筆者も演者の1人として参加した。筆者は、八重・椿論文1)にみられるバイアスと、発行元である日本看護科学学会(JANS)の出版倫理上の問題点について講演を行った。
八重・椿論文は、2015年に名古屋市で実施されたHPVワクチン接種と接種後症状との関連を検討した分析疫学研究「名古屋スタディ(鈴木・細野論文)2)」と同一のデータを用い、いくつかの症状で鈴木・細野論文よりもはるかに高いオッズ比を提示したものである。
講演の中で、JANSの横田慎一郎理事が説明した公式見解は、ほぼ従来の主張の繰り返しであった。しかし、「当該論文に関する疑義について、本学会が独自に調査する権限および責任を有さないため、論文撤回の要求等を行うことはない」と明言されたのは今回が初めてであった。撤回要請を受けた掲載論文について、学会理事が公式見解として「調査する権限も責任もない」と全国規模の学会のシンポジウムで発言するのは、きわめて異例である。
2025年10月31日付で、同様の内容が、「英文誌公開論文に関する日本看護科学学会の公式見解」として学会ホームページに掲載された。この見解には、COPE Ethical guidelines for peer reviewersや、ICMJE Recommendationsに則ったものであるとの記載がある。論文内容に疑義が生じた場合は、掲載誌ではなく、著者およびその所属機関が調査・検証する必要があるとする主張である。
しかし、COPEガイドラインは査読者(peer reviewers)向けのものであり、出版後の論文に関する疑義対応という編集倫理上の重大な判断の根拠として用いるのは、明らかに適用範囲を逸脱している。発行元としての責任を回避するためにこの文書を引用している点は問題である。また、ICMJEは、研究の信頼性に疑義が生じた際の訂正や撤回について、Publishing and Editorial Issuesの章で、編集者と発行者が責任をもって対応するフローを明示している。「著者と所属機関の調査責任がある」ことは、学会側が「責任を有さない」ことを意味しない。したがって、この引用は妥当性を欠き、きわめて不適切である。
引用文献は、責任回避の論理を正当化する目的で利用されており、国際的な出版倫理基準が求める「出版物の誠実性の確保」という学術誌の基本的な役割をはたしていない。また、著者の同意がなくても論文撤回が行われた事例は実際に存在しており、「権限がない」というJANSの主張も事実と異なる。
そもそも、掲載論文を調査する権限も責任がないような学会誌が存在するならば、それは学会の存在意義そのものに関わる重大な問題である。JANSがここまで強い主張を行うのは、「八重・椿論文の擁護」を目的としているとしか考えられない。個別の論文を守るために、学会の存在意義に関わる公式見解を、場当たり的に述べるのは、理解しがたい「悪手」と言わざるをえない。
【文献】
1) Yaju Y, et al:Jpn J Nurs Sci. 2019;16(4):433-49.
2) Suzuki S, et al:Papillomavirus Res. 2018;5:96-103.
鈴木貞夫(名古屋市立大学大学院医学研究科公衆衛生学分野教授)[HPVワクチン訴訟][出版倫理][名古屋スタディ]