筆者は、本誌において、6回にわたり『家庭医の視点を持つ産業医』を執筆しました(No.5154、No.5155、No.5156、No.5157、No.5158、No.5159)。連載から2年半を経た2025年9月、日本プライマリ・ケア連合学会予防医療・健康増進・産業保健委員会産業保健チームに、家庭医療専門医と日本産業衛生学会の産業衛生専門医、2つの資格を併せ持つ医師が2人誕生しました。
いずれの試験も、知識を問う筆記試験だけでなく、実務経験をまとめたレポートとその質疑応答が求められます。産業衛生専門医試験の特徴は、特殊な場合を除き、初対面の受験生同士が3題ほどのグループ討議(1題約30分)を行い、夕食や翌朝の食事を共にした後、個人の課題発表を行う点にあります。試験を受ける側だけではなく、実施する側の人間性も問われる大変タフな試験です。準備から受験までのすべての課程において、確かな成長と学びが得られます。特に、互いを知らない者同士の討議には独特の緊張感があり、実務にも生かせる貴重な経験です。
産業医の職務は、法律によって定められています。法的に正しいことであっても、耳の痛い指摘をせざるをえないこともあり、コミュニケーションスキルが問われます。一方で、健康を損なった従業員には、病の体験があります。家庭医は、人が限られた人生の中で仕事に費やす時間の長さを理解し、仕事に関する会話を通じて、その人のライフストーリーを把握し、治療や選択に寄り添うスキルを持っています。
実は、このスキルは産業医面談でも有益です。一般的な産業医面談は、事例性と疾病性を軸に行いますが、実際には、それ以外の要素(個人の価値観や家族背景など)が絡むことも多く、複雑なケースほど家庭医のスキルがいきてきます。従来の産業保健では、休職を退職前の猶予期間と捉えますが、家庭医の視点を加えると、その時間は従業員の尊厳を尊重する大切な移行期とも考えられます。仕事以外の人生の時間をどうすごすか。多くの人はいつか仕事から離れる時期を迎えます。退職前の数カ月は、職場から地域へと生活の場を移す「揺れ動きの時期」とみることもできます。
この期間に、産業医や主治医として家庭医の視点を持つことは、地域での癒しや今後の働き方の決断を後押しし、平和的な対話を生みます。従業員にとっては、ジュロスバーグのいう人生の転機に寄り添う信頼できる専門職として、事業者にとっては対話を支える専門家として存在感を高めています。人は卒就労を迎えた後、地域に帰ります。産業医大初代学長の建学の使命にある「地域医療との有機的な結合」にも、そのような思いが込められていたのではないでしょうか。
筆者自身も、多くの産業衛生専門医や指導医、現場の産業保健職・人事労務担当者、従業員の皆さま、経営陣の皆さまと勉強会や一緒に困難を乗り越えてきた経験を通じて、多くの学びを得ました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。また、私たちの活動に関心をお持ちの方は、ぜひ仲間に加わって頂けますと幸いです。
安藤明美(安藤労働衛生コンサルタント事務所、東京大学医学系研究科医学教育国際研究センター医学教育国際協力学)[産業医][産業保健][総合診療][家庭医]