昨今、イスラム教徒に対する強いバッシングが見受けられる。無知と偏見からくる愚にもつかない暴論だが、「無理を通せば道理が引っ込む」反知性主義が強いのが、今の日本社会である。政治家、それも閣僚や党首レベルですらポピュリズムに走り、排外主義を喧伝し、「外国人がいなくなれば日本はよくなる」と幻想を振りまく。ゲッベルス的愚劣な手法だが、その効果はてきめんだ。
十字軍遠征など、古くからイスラム教社会と殺し合いを重ねた欧州キリスト教社会と異なり、日本はイスラム教に特に暗い歴史を持たない。侵略や戦争に至ったこともない。もちろん、個別には中村哲先生がアフガニスタンで武装勢力に殺害されたり、ISIL(いわゆる、イスラム国)によって日本人が殺害されたりしたことはある。2001年の「9.11」の際、私はニューヨークで後期研修医をしていたが、崩壊したワールド・トレード・センターには多くの日本人が勤務していた。
しかし、このようなイスラム原理主義の過激派は、世界に19億人いると言われるイスラム教徒のアウトライヤー(例外的存在)である。日本に住むイスラム教徒のほとんどは平和的な人々であり、日本社会を好ましく思う(だから移住してきたのだ)。どのような宗教であっても、過激派や異端、原理主義者は危険であり、キリスト教や仏教も例外ではない。オウム真理教を引き合いに出して「仏教徒は─」と難じるのがナンセンスなのと同じことだ〔オウム真理教が仏教かどうかについては、議論がある〕。
私がイスラム教徒と初めて交流を持ったのは大学生のときだ。イラン人の女学生だった。日本で学業を重ね、日本の大学で研究者になった。その後、私は渡英して英語を学んだが、学友にサウジアラビアの学生が2人いた。そのうち1人はサッカーが上手で、よく昼休みにフットサルをした。ニューヨークで研修医をしていたときには、イラクやシリア、ヨルダンなど、多くのイスラム教国出身の研修医が同僚だった。現在もインドネシアなど、多くのイスラム教国から医学生が短期研修や研究のために私のもとを訪れる。
個別につき合えば、人は皆同じなのだとわかりあえる。かつて米国は白人と黒人を分断する政策をとっていたが、分断政策を止めたら多くの(すべてではない)わだかまりは解消した。日本のイスラモフォビアは、実際にイスラム教徒と直接会話をしたこともない人々によるものだろう。
友人を侮辱されたら、立腹するのが普通だろう。イスラム教徒を罵倒する連中に、私は腹が立っている。ふざけんな。
岩田健太郎(神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)[ポピュリズム][イスラモフォビア]