近年、現役世代の社会保険料負担が過重になっているとの批判が広がっており、その軽減が政治課題として取り上げられている。たとえば、今回、自由民主党と「連立政権」を組んだ日本維新の会は、現役世代の社会保険料負担を年間6万円軽減することを、2025年夏の参議院議員選挙で公約としていた。
財源構成を不変とすれば、保険料負担を軽減するためには、医療費そのものの水準を引き下げるしかない。実際、日本維新の会も国民医療費の総額を年間4兆円以上削減するとしている。医療提供のあり方や資源配分に見直しの余地があるのは確かだが、医療費を全体として見ると、わが国の医療費の対国内総生産(GDP)比はおおむね主要先進国並みであり、高齢化率が世界一であることを考慮すると、その規模が過大とは言いがたい。
また、物価・賃金が上昇局面にあり、足元では医療費の伸びは名目GDPの伸びを下回っている。医療機関の経営の持続可能性を確保するためには、物価や賃金の上昇に見合った診療報酬の引き上げが必要となる。それは、保険料負担額の増加として跳ね返るため、年間6万円の軽減という目標は実現困難と言わざるをえない。
医療費の名目額を減らせず、むしろ増えるという状況の中で、保険料負担額を軽減しようとすれば、その分を公費が代替して給付を維持するか、患者負担を増やして給付を縮小するかのいずれかになる。医療費の財源として公費の割合を高めることは1つの考え方ではあるが、現状でも公費の財源として税収は十分に確保されておらず、赤字国債の発行に依存しているのが実態である。したがって、増税の議論が不可欠となるが、社会保険料の軽減を訴える人たちの多くは、むしろ減税を主張している。その結果、結局は給付を削減し、患者負担につけ替えざるをえなくなる。
給付を削減すれば、社会保険料や税金といった公的負担は抑えられても、患者本人やその世帯が支払う私的負担は増加する。負担がなくなるわけではないのである。たとえば、OTC類似薬を保険給付から除外する場合、その分の私的消費を支える購買力の増加が家計側に必要になる。さらに、近年相次いで登場している高額な治療法について、民間保険で対応すべきとの声もあるが、それらの治療を利用する患者が増え医療費が増加すれば、当然ながら民間保険の保険料も上昇する。公的負担の増加を避けて民間保険にゆだねても、決してうまくいかないことは、米国の例を見れば明らかである。
言うまでもなく、負担を際限なく増やし続けることはできない。保険料や税金の増加を歓迎する人はいない。しかし、負担の軽減ばかりが追求されると、社会保障制度の基盤が揺らぎかねない。今後、社会保障改革について様々な検討が進められるだろうが、負担能力に配慮しつつ、公的負担増の議論からは決して逃げるべきではない。
村上正泰(山形大学大学院医学系研究科医療政策学講座教授)[社会保険料][社会保障制度]