一部のコンピューターゲームでは、ゲームクリア時の能力を保持したまま、最初からプレイをやり直せる「ニューゲーム」機能が備わっていました。また、バイナリエディタを使ってデータ領域を読み取り、プレイヤーや敵キャラクター、登場アイテムのパラメータを自由に改変するとことも、スタンドアロン型のPCゲームにおいては比較的容易に行えた時代がありました。さらに進めば、システム領域にまで手を入れ、ゲーム内の環境そのものをある程度変えてしまうことも可能でした。しかし、現代のネットワークゲームにおいては、これらの行為はいずれも禁止されており、発覚すればアカウント停止(BAN)の対象となるのが一般的です。
日本の保険医療サービスは、診療報酬制度をはじめとする医療制度に大きく依存しており、これに適応しなければ収益を上げることは困難です。具体的には、求められる施設基準をクリアするため、有資格者を含む人員の確保、設備投資、院内規則や書式の整備を行い、法令に従った医療提供を進めていく必要があります。十分な資金があれば比較的自由に対応することができますが、現実にはそう簡単には進まないのが実情です。
医療関連団体というプレイヤーが、自らに都合のよいよう法制度つくり変えようとする行為は「チート」とも言えるもので、経済学では「rent seeking」と呼ばれます。しかし、現在の医療分野においては、公式・非公式を問わず、こうした行為はほぼ不可能になっています。一歩間違えれば、医療関連団体自体が批判の的となり、最悪の場合は法に触れる可能性すらあります。むしろ近年では、医療界の外にいる営利企業や経営者団体のほうが、医療制度を自らに有利な形に変えようと、繰り返し働きかけを行っています。
政治家や官僚は制度設計の当事者であり、少し考えれば自らに都合のよいよう制度をつくり変えることも可能に見えるかもしれません。しかし現実には、それが思うように進むことは少なく、かえって混乱をまねく例も多々あります。特に、制度の目的や数値の根拠を正確に理解していない人たちが主導した場合、政策議論そのものが頓挫してしまうことも珍しくありません。
そもそも、明確な根拠に基づいて設定された数値を動かそうとすること自体、成功・失敗にかかわらず悲惨な結果をまねく可能性が高い、という不条理を目の当たりにする場面が近年は増えています。法令や制度でそう決めようと、太陽が西から昇ることはなく、死んだ人が現世に戻ってくることもありません。それと同様に、理にかなわない変更は実現しません。しかし、そうした道理を理解しようとしない人は、どの時代にも存在するのです。自然科学と異なり、社会科学を相手にする場合には、多少の無理が通る余地もありますが、それにも当然限界があります。
地域医療構想は、人口縮小期を目前に控え、医療制度という環境を見直し、多様な医療機関に対して淘汰と補助金を通じて再構成しようとする試みです。しかし、制度という「環境」は、法令だけで思い通りに変えられるものではありません。政治家や官僚の管理者としての権限は、一見すると絶対的にも見えますが、実際には神ではない、ただのプレイヤーにすぎません。その現実を直視し、真摯に環境を理解しようとする努力が求められます。
「決着をつける時だ、泥棒の王と鍍金の勇者の」キリト〔川原礫『ソードアート・オンライン』(電撃文庫)〕
中村利仁(社会医療法人慈恵会聖ヶ丘病院内科)[地域医療構想][保険医療サービス]