70歳代、女性。彼女が多発性囊胞腎と診断されたきっかけは、透析をしていた姉にドナーとして腎臓を提供しようと検査をしたときだった(当時32歳)。母から遺伝し、母は彼女が6歳のときに38歳で亡くなっていた。
32歳のときに診断を受けてから、自覚症状もなく元気であったが、徐々に検査値は悪くなっていった。風邪と帯状疱疹をきっかけに、血清Crの数値が一気に悪くなり、連続携行式腹膜透析(CAPD)を導入した。彼女は美容院を1人で経営していて、血液透析ではなくCAPDを選んだ。仕事の合間に透析液を交換できたので、仕事に支障をきたすことなく透析と両立することができた。CAPDを導入して1年半後、夫をドナーとした腎移植を行うこととなった。