検索

×
絞り込み:
124
カテゴリー
診療科
コーナー
解説文、目次
著者名
シリーズ

【識者の眼】「認知症の人が働く世界」岡村 毅

登録日: 2025.10.23 最終更新日: 2025.11.25

岡村 毅 (東京都健康長寿医療センター研究所研究副部長)

お気に入りに登録する

認知症と診断されると、とたんに人生が暗転する事例がある。本人が「自分は何もできない」と思い込み、周囲も「本人抜きで本人のことを決めよう」と考えてしまう。そして、しだいに家に閉じこもるようになり、見かねた家族がデイサービスに行くよう勧めると、本人は激しく抵抗する、といった事例だ。診断の前後で認知機能自体はまったく変わっていない。それでも、診断という出来事により、世界が暗転する。このような状況になるくらいなら、診断なんかしないほうがよいのではないか。

特に、これまでバリバリと仕事をしていた人が認知症と診断されると、その変化は大きい。本誌読者の多くはそれに該当するので、自分事として本稿を読んでほしい。仕事を誇りにしてきた人にとっては、認知機能の低下によって仕事の能率が落ちること自体が、診断前から既に自尊心の揺らぎにつながっている。そして、自宅で過ごすようになると、本人は「本当はまだ働いて、社会と関わっていたい」と思いながらも、家族は「あんなにカッコよかったのに、今では家でだらだらしている」と受け止めてしまう。

私たちは現在、「ちょこっとワーク」社と研究を進めている。この会社は、社長が個人的な体験から「中高年の孤独死をなくしたい」と考え、立ち上げた。特徴は、「シフトなし・ノルマなし・年齢制限なし・経験不問」で働くことができる場を提供している点だ。会社は封入作業などの軽作業を受注し、働き手は自分のペースで作業をし、出来高払いで報酬を得る。面接などもない。

この会社のユニークな点は、業務開始の1時間前から参加者が集まり、お菓子を持ち寄って談笑していること。仕事中も会話が絶えず、作業がうまくいかない人には周囲が自然と手を差し伸べる。終業後も談笑したり、スタッフを捕まえて昔話をしたり、さらには夕食に出かけたりする。

私たちが行った3名のパイロットスタディでは、本人のQOLが向上し、家族の介護負担感や抑うつ症状が軽減した。何よりも、本人が「再び働けたことの喜び」を涙ながらに語った姿が印象的であった。そして現在は、40名を対象としたRCTを実施中である。

現在の高齢者労働市場には、①若年層以上に高い生産性を発揮する“スーパー高齢者”層、②ケアつきの雇用、③デイサービスなどから軽作業に向かう、といった選択肢がある。ちょこっとワーク社は、その①と②の中間に位置する。ここには、まだ開拓されていない巨大な市場が隠れているのではないか? 将来的には、「望めば誰でも働くことができる」仕組みが整うことを期待している。

日本の社会保障制度は、おそらく持続不可能であろうから、公的資金に依存しない仕組みが必要不可欠だ。ただし、「安上がりだからよい」というだけでは意味がない。この会社で働く人たちには、「社会にお世話になっている」立場ではなく、「自ら価値を生み出している」という誇りがある。

ここで私は、「労働は尊い」と言いたい。イタリア共和国憲法には、「イタリアは、労働に基礎を置く民主的共和国家である」と記されている。無理強いされる労働は論外だが、「働きたい」と願う人に対して、その場をつくることは私たちの責務だ。

国際学会では今、「高齢期も働けるのか」といった議論がなされている段階だ。日本は幸か不幸か、その先を行っており、「認知症があっても働けるか」を研究できる段階にある。

文明論にふみ込むつもりはないが、かつて日本では働くことを生きがいとし、外国ではハッピー・リタイアメントを理想とする、と言われていた。しかし、高齢期がここまで長くなると事情は変わってくる。今後の日本の試みが、世界の最先端の研究になることを願っている。

岡村 毅(東京都健康長寿医療センター研究所研究副部長)[精神科認知症

ご意見・ご感想はこちらより


1