産業医として勤務していると、「職場が合わない」という理由で休職する職員に対して、外部医療機関の精神科医が「適応障害で休養を要する」との診断書を発行し、時には向精神薬を処方している場面に出会うことがある。職場の状況を把握していない、あるいは把握しようとしない精神科医による対応よりも、職場の人事担当者や精神保健スタッフが適切に関与したほうが、回復や復職が早まるケースは少なくない。
こうした問題を含む、種々の社会的・行動的課題に対して医療的対応がとられる現象を、医療社会学などではmedicalization(医療化)と呼ぶ。医療化には様々な議論があるが、特に批判の対象となりやすいのが「既存の疾患概念を軽症の方向へ拡大する」タイプの医療化である。たとえば、「軽いうつもうつ病」「身内の死による落ち込みもうつ病」「集中力の欠如は大人のADHD(注意欠如・多動症)」「人前で緊張しやすいのは社会不安障害」などと解釈され、精神医療の対象範囲が拡張されている。
かつて、「うつはこころの風邪」というキャッチコピーのコマーシャルがあった。「風邪のように十分な休養が大切」といった啓発であれば問題はなかった。しかし、実際には「薬をのんで休もう」と、軽症うつ病には効果が乏しいとされる抗うつ薬の服用を強調する内容となっていた。このように、医療化が進むだけでなく、あまり意味のない薬剤の使用が推奨される状況には、disease mongering(疾患喧伝)という概念が当てはまる。
疾患喧伝とは、「製薬企業などが特定の薬剤の売り上げを伸ばすため、医師と連携してその薬剤が適応となる疾患を広く問題視し、薬物治療を促す行為」と定義することができるだろう。これは精神科に限らず、たとえば内科領域においても、血圧やコレステロールの「正常値」の設定によって、疾患の診断基準や薬剤投与の対象が変化するような事例もみられる。これもまた疾患喧伝の一形態と言える場合もある。
さらに、「うつ病であれば、この認知療法の本を読もう」「このDVDで学ぼう」といった宣伝も、出版社の利益を優先する戦略の色合いが濃ければ、薬物療法ではないにしても、医療化や疾患喧伝に通じる可能性がある。
もちろん、医療化や疾患喧伝と混同してはならないのが、disease awareness(疾患啓発)である。これは、疾患の早期発見・早期治療を促すものである。
精神医療において、医療化や疾患喧伝が強まる背景にはいくつかの要因がある。「精神疾患は検査値などの客観的指標で診断が確定しないため、製薬企業の戦略が否定されにくい」「薬物療法は精神科において収益性が高い」「患者自身も『これは性格の問題ではなく病気のせい』と説明されたほうが受け入れやすい」などが挙げられる。また、特定の薬剤をテーマとし、発売元の製薬企業がスポンサ−となっている講演における「専門家」の偏った説明や、製薬企業の発表内容が十分な検証なくそのまま報道されるようなメディアの姿勢にも注意が必要である。
私は、精神医療への相談を躊躇するような社会にはなってほしくないと願っている。その一方で、精神科医は「このケースに医療による対応が本当に適切なのか」を慎重に検討する責任がある。いま一度、医療化や疾患喧伝という視点から精神医療を見直す必要があると感じている。
宮岡 等(北里大学名誉教授)[医療化][疾患喧伝]