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【識者の眼】「『産む場所がない社会』にしないために─周産期医療は未来への投資」豊島勝昭

登録日: 2025.10.21 最終更新日: 2025.10.21

豊島勝昭 (神奈川県立こども医療センター新生児科部長)

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少子化や病院の財政難の中、分娩の取りやめやNICUの閉鎖が報じられるようになった。日々の診療を通じ、周産期医療が新たな危機に直面していることを感じている。

近年、小児医療の無償化に加え、無痛分娩への助成や出産費用の保険適用を見据えた無償化の動きが広がりつつある。家族にとっては喜ばしい政策だが、一方で「分娩を中止する可能性がある」と答えた産科診療所が半数を超えるという報道もある。

これまで出産費用には一定の裁量があり、施設ごとに診療内容や産前産後ケアに独自性を持たせることが可能だった。保険適用によって価格が一律化されれば、こうした工夫は難しくなる。産科麻酔の体制整備の遅れや少子化による分娩件数の減少も加わり、経営はいっそう厳しくなる。出産費用がゼロになっても、地域で出産する場所が失われてしまっては本末転倒である。政治的な掛け声と、現場の不安との間には大きな隔たりがある。無償化だけでなく、地域で安心して出産できる周産期医療体制の再構築が必要だ。

17年前(2008年)、東京都で救急搬送を要請した妊婦が複数の医療機関に受け入れを断られ、母体が亡くなったという事例があった。奈良県でも同様の搬送困難が発生し、「妊婦の緊急受け入れができない」ことが社会問題となった。当時、メディアは連日「周産期医療の崩壊」を報じ、NICUのベッド数やスタッフ不足が、産科の受け入れ困難に直結していると注目された。NICUに入院していた家族には、「今日はNICUに入院できてよかった。集中治療を終えたら、次に生まれてくる赤ちゃんのためにベッドを譲って下さい」と伝えていた。「子どもを大切にできない国に未来はない」と感じながらも、過酷な環境の中でスタッフは力を合わせ、目の前の命と真剣に向き合っていた。

その後、国や自治体の支援により、周産期医療は崩壊を免れ、体制はむしろ強化された。NICUのベッド数は増加し、周産期医療を志す若者も増えてきた。しかし今、少子化と病院の財政難が進む中で、周産期医療の質をいかに維持するかが新たな課題となっている。

日本では中小規模のNICUを備える病院が多く、「コンビニ型」とも呼ばれる特徴がある。これまではアクセスのよさが新生児の救命率向上に寄与してきたが、入院数の減少が経営難と重なり、多くの施設でNICUの維持が難しくなることが予想される。集約化は一定程度必要だが、「経営的に生き残れる施設だけが残ればよい」という自然淘汰的な行政判断は避けてほしい。豊富な経験と高い専門性を持つNICUが、経営上の理由で縮小や閉鎖に追い込まれることは、社会にとって大きな損失である。周産期医療は消防や警察と同様に社会的インフラであり、地域ごとに将来を見据えた病床数の確保と専門性の維持が求められる。

また、診療や母児の療養環境の質を高めるには、物価上昇や医療技術の進歩に応じた診療報酬の適切な引き上げが不可欠である。短期的な収益性だけでなく、周産期医療を日本の未来への大切な投資と捉える視点が求められる。

診療報酬の議論にとどまらず、国、自治体、学会、医療機関が課題を共有しながら連携し、周産期医療の質を高めていきたい。一人ひとりの赤ちゃんに、よりよい未来を届けるために。そして、「産む場所がなくて悩む」ことのない社会をともに築いていきたい。

豊島勝昭(神奈川県立こども医療センター新生児科部長)[新生児医療周産期医療NICU

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