彼女が初めて私のもとを訪れたのは中学3年の秋であった。既に大学病院を受診済で、「重症の運動誘発性喘息」と診断されており、激しい運動で喘息が増悪するエピソードを繰り返していた。主治医からは「運動の中止(ドクターストップ)」を指示されていた。それに納得がいかず、彼女は藁にもすがる思いで「内科のスポーツドクター」である私のもとを訪れた。駅伝でタスキをつなぐため、どうしても走りたかったのだ。
陸上競技の中でも「駅伝」はチーム力を試され、最重要の位置づけである。さらに先輩から受け継いできたタスキの重みもある。私は、本人の「走りたい」という思いを実現させるため、ICS/LABAにLAMA吸入を追加し、またバイオ製剤も導入するなど、最大限の治療を行った。結果、駅伝では倒れ込みながらも、なんとか次走者にタスキを渡すことができた。