分析疫学の専門家として、曝露(要因)とアウトカムの直接比較を行わず、統計的根拠を欠いたまま「関連性」に言及する査読論文などの出版物(以下、不適切論文)の存在に、強い懸念を抱いている。これらの多くは、ワクチンの安全性に疑義を示すものであり、公衆衛生上の意思決定に混乱をまねいている。また、査読を経たことにより、あたかも信頼できるエビデンスがあるかのように誤認されている状況も看過できない。本稿では、撤回された学位論文「HPVワクチン推奨再開後の副作用被害救済状況について」(以下、田村論文)1)を取り上げ、その構造的な問題点と、学術界が取るべき対処について論じる。
田村論文は、HPVワクチン推奨再開後における救済制度申請数の推移を観察し、「ワクチン接種と有害事象発生には関連性があることは明らかである」と結論づけた。しかし、この結論は、データの限界を無視し、論理の飛躍を伴っている。田村論文では非接種群との比較が行われておらず、因果関係を議論するための統計解析も実施されていない。根拠のない記述だけで「関連性」に言及することはできず、それを「明らかである」と断言することは明白に誤りである。
さらに深刻なのは、学位論文としての倫理的欠陥である。田村論文は、指導教授である長南謙一氏が先に発表した同一著者による先行論文2)と、使用しているデータ、分析結果、さらには政策提言に至るまでの結論の骨子が、実質的に同一である。後発の田村論文には、博士論文に求められる「新規性」がまったく認められない。これは、学生が指導教授の先行研究を再編集したにすぎず、博士号授与の根拠を根本から揺るがすものだ。さらに、内容的に重複する先行論文を引用していない点は、自己剽窃、あるいは実質的な二重投稿に該当する。指導教授と学生の間で、重複した内容を含む論文を適切な引用なしに発表したことは、学術界の出版倫理に対する重大な違反であり、学位授与プロセス全体の正当性に深刻な疑義を生じさせる。
また、長南氏の先行論文も、公的な救済制度のデータのみに基づき、ワクチンが防ぐ子宮頸がんに対する有効性を完全に無視した状態で、「推奨再開の是非」という公衆衛生政策に関する結論を導いている。安全性の一側面のみを強調し、リスク・ベネフィット評価を欠いた提言は、政策論として成立しえない。
私は医学部教授として、長く学生の博士論文に携わってきた。日本語7ページの論文で博士号が授与されるという事実にも驚いたが、それ以上に、前述のような学位論文の成立過程における研究倫理上の問題は、驚きを超えて、重大かつ危機的な事態である。何よりもまず、学位の剥奪の検討と、指導教授の責任追及を含む指導体制の抜本的改革、さらには学位要件の見直しが必要である。大学は、学位審査の厳格化を行い、紀要は引用文献の適切性や二重投稿の有無を厳密に確認すべきである。
さらに、研究者コミュニティは、不適切論文の蔓延を防ぐために、論理性を欠く主張や出版倫理違反に対して、沈黙するのではなく、継続的に声を上げていかなければならない。学術的な厳格性を取り戻すことこそが、科学に対する公衆の信頼を回復する唯一の道である。
【文献】
1) 田村剛哉, 他:昭和薬科大学紀要. 2025;59:8-14.【撤回】
2) 長南謙一, 他:医薬品情報学. 2024;26(3):144-50.
鈴木貞夫(名古屋市立大学大学院医学研究科公衆衛生学分野教授)[不適切論文]