検索

×
絞り込み:
124
カテゴリー
診療科
コーナー
解説文、目次
著者名
シリーズ

大学のグローバル化と英語での医学教育 [なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(65)]

登録日: 2016.09.08 最終更新日: 2025.09.20

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

お気に入りに登録する

グローバルな大学を目指せという圧力が強くなるばかりだ。大学院の講義では、留学生に配慮して、英語で行うこともある。しかし、そうすると、大多数を占める日本人学生のほとんどが理解できない、というおかしな状況になる。

先生によっては、まず日本語で説明をして、同じ文章を英語で繰り返す、という、涙ぐましい講義をしておられる。まるで英語教材である。実際にやってみたことがあるけれど、どうにもペースがつかめない。

どうしても日本語での説明の方が長くなりがちだし、英語では冗談を言う余裕もあまりない。それに、たとえちゃんとできたとしても、講義で伝えることができる内容は、通常の半分でしかない。

どうしてかわからないけれど、講義というのは、異常なまでに疲労度が強い。日本語であっても60分を3コマも続けてやると、へとへと。その日はもう何もする気がしないほど疲れ果てる。

当然、英語での講義の疲労度はもっと強い。私の場合、1時間半が限度である。本当に頭痛がして、意識が朦朧としてくる。我ながら脆弱な頭である。


1 2