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オテル・デュー(Hôtel Dieu)の道化師 [エッセイ]

登録日: 2016.10.11 最終更新日: 2025.09.20

佐藤 裕 (国東市民病院)

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先年、ポーランドで開催される第8回国際胃癌学会に出席する際にパリで乗り継ぐことになり、開催地であるポーランドの古都クラコワに乗り込む前の2日間、パリ観光を楽しむことにした。

早速、パリ市内のサン・ルイ病院に留学中の後輩医師をガイドに頼んで、「まずは“モナ・リザ”でしょう!」ということでルーヴル美術館をめざしたが、運の悪いことに当日は閉館日であった。仕方なくエッフェル塔とともにパリのランドマークとなっているノートルダム寺院に目的地を変更した。寺院では、しばしステンドグラスとその場の雰囲気の荘厳さを十分に感じた。寺院の右手に「パリ市民病院」とも称される「Hôtel Dieu(オテル・デュー、“神の館”の意味)」がある。オテル・デューは、660年頃宗教関係者の尽力により「救貧院」として創設され(聖職者が救護等にあたったため“神の館”と呼ばれた)、今日までパリの中心的医療施設として連綿と続いている由緒ある病院である。

ちなみに、古くは洋の東西を問わず「近代外科学の父」と讃えられるパレ(Ambroise Paré,1510~90)、フランス革命前後の混沌とした時代にあっても粛々と近代的外科学教育を実践し続けたデソー(Pierre-Joseph Désault,1738~95)、いろいろな意味で「外科学の帝王」と呼ばれたデュプイトラン(Guillaume Dupuytren,1777~1835)や、“Hartmann’s procedure”などの術式を考案して手術の名手としてその名を轟かせたハルトマン(Henri Albert Hartmann,1860~1952)などを輩出している。そして、さほど厳しくないセキュリティーを通過して中庭に入り込んだ際に目にしたのが、件の「カラフルな道化師姿のDupuytren」であった(写真1)。


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