近藤誠医師が提唱する「“がんもどき理論”に基づいた“がん放置療法”」を仮に“近藤理論”と呼ぶことにしよう。しかし、その科学的妥当性については論を俟たない。
すなわち、本誌(2013年11月2日号)で神前五郎医師が述べられた意見に全面的に賛同する。また朝日新聞(同12月15日)紙上で勝俣範之医師が述べられた、近藤医師の主張は「一部の患者さんに当てはまる『仮説』」という表現が、国民に対する説明としてたいへん分かりやすい良識的なものであり、全面的に支持する。私は“近藤理論”は科学的根拠を持たない極論である、と認識している。
がんセンターに勤務する医師らは、「余計な説明の時間が増えて肝腎の説明ができなくなった」と嘆く。しかし、一部のがん患者さんはこうした“医療否定本”を読みながら、外来化学療法等の治療を受けているのも現実である。
また、本がよく売れる=広く支持されているわけではなく、多くのがん患者さんは、「そんな極論もあるんだ」という程度に聞き流しているのではないかと想像している。しかし、近藤医師の医療否定本が飛ぶように売れているのは現実である。一部にはその主張を真に受け、早期がんを放置した結果の“犠牲者”が出ており、商業主義に便乗した極論で真面目な患者を惑わしている罪は大きい。
ことの真偽はともかく、近藤医師の本が飛ぶように売れることを“近藤誠現象”と勝手に名付けさせていただいた。私が本稿で述べたいのは、“近藤理論”の医学的正否ではなく、“近藤誠現象”を我々医療者はどう受け止めるべきか、という点である。私は“近藤誠現象”から決して顔を背けてはいけないと考える。
極論本を読みながら、実際にはがん検診やがん医療を受けているので、決して“がん放置療法”は国民に全面的に支持されているわけではない。実は、近藤氏が医師でありながら患者の気持ちを代弁してくれたことに国民の熱い支持が集まっているのだ。
インターネット通販サイトAmazonのレビュー等に見られる患者・家族の声をじっくり読むと、現在の日本のがん医療に限らず医療界全体に対する不満が怨念のように積もっていることがよく分かる。「そんなものは無視すればいい。相手にする必要はない」という医師も多いが、それこそが今後の医療界にとって宝の山ではないか。仮に医療をサービス業としてみた場合、“近藤誠現象”とは、日本のがん医療へのまさに国民的クレーム集であり、患者・家族の恨み節そのものである。それに学ばない手はないのではないか。
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