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【識者の眼】「『国産』という言葉の魅力」岩田健太郎

No.5137 (2022年10月08日発行) P.59

岩田健太郎 (神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)

登録日: 2022-09-26

最終更新日: 2022-09-26

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「国産」という言葉にメロメロになってしまう人は多い。スーパーで「国産」とチラシにあれば、「それは質の高い商品」というアッピール文句である。

実際には国内の製品もピンキリだし、海外の製品でも質の高いものも多い。このようなラベリングで判断してしまうのは、妥当な吟味と理性的判断を放棄している。

医薬品においても「国産」信仰が強い人は多い。しかし、医薬品もまた吟味すべきものであり、決して信仰の対象にしてはならない。

「国産」コロナワクチンの開発を期待された医療ベンチャー、アンジェスは今月、武漢型新型コロナワクチンの開発を断念したと発表した。報道によれば厚生労働省などから約75億円の補助金を得ていたそうだが、成果は得られなかった。

「国産」コロナ治療薬の開発も上手くいっていない。富士フイルムの「アビガン」も治療効果を示すことができず、日本人ノーベル賞受賞者が開発に貢献したイベルメクチンも新型コロナには無効だった。塩野義製薬が開発する「ゾコーバ」は第2相試験でウイルス量を減少させたが、臨床的に意味のあるアウトカムを得ることには失敗した。

もちろん、失敗したからダメなのではない。挑戦とは「失敗の可能性がある命題」に立ち向かうことである。失敗の可能性がない挑戦は形容矛盾だ。未曾有のパンデミックという危機に立ち向かい、新薬やワクチン開発に尽力した関係者たちの努力は称賛されて当然だ。

しかし、効果が認められない薬をエコヒイキして患者に投与したり、学会の重鎮がヨイショしたりするのは論外だ。医薬品の良し悪しに国内も国外もない。良いものは認め、悪いものは否定する。これができなければ、プロではない。

もともと、日本は新薬やワクチン開発の土壌づくりに失敗してきた歴史がある。90年代のワクチン副反応問題以降、国内メーカーはワクチン開発に消極的で、研究所ベースで製造を継続したり、海外の製品の輸入に頼らざるを得ない状況だった。そもそも、臨床試験のプラットフォーム作りからしてしっかりしたものはなく、海外の「エビデンスを出す」パワーに到底、太刀打ちできない状況だった。そういう背景下でのコロナである。

国産の医薬品開発力が高まるのはよいことだ。質の高いワクチンや薬を開発し、世界に認めてもらい、使ってもらう製品を開発すればよい。

その時初めて、「国産」の名は本当の意味でのブランド価値を持つのである。急がば回れで、今の日本が進むべきはそういう王道である。

岩田健太郎(神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)[医薬品開発]

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