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【識者の眼】「胎盤だけが出てきた…」中井祐一郎

No.5015 (2020年06月06日発行) P.61

中井祐一郎 (川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)

登録日: 2020-05-18

最終更新日: 2020-05-18

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重症貧血で搬送された女性だが、内科が撮ったMRIでは子宮内に塊状物があるという。数日前より大量の性器出血があるという病歴から、産婦人科に転科となった。

主治医ではない私は横目で経過を見ていたが、経膣的な内容物除去が困難であり、膣上部切断術を行ったらしい。子宮内にあったのは8カ月相当の胎盤であったというが、女性は子を生んでいないと言い張っている。意地悪な私は、「如何、始末をつけるのかな…?」と高みの見物を決め込んだ。

結局、退院前日になって主治医から相談があった。知人に百戦錬磨の刑事畑の警察官がいるので、そこから本県の警察本部に直接連絡を取って頂いた。病理学的に胎盤であることを確認した上で、私が県警本部に出向いて事情を説明した。当該女性に関する聞き込みが行われた後、家宅捜索によって死胎もしくは死体が発見された…ある初秋の暑い日のことである。

この話に、如何なる教訓があるのか…?まず、「胎盤があるということは、胎児がいた」という私たちには自明である命題であっても、市民を処断しなければならない警察・検察にとっては自明で済ます訳にはいかないということである。そして、当院所在地と女性の居住地の所轄警察署とが異なることも考えた。「子を生んでいないと主張する女性の身体に胎盤があった」という事実から帰結する犯罪の存在可能性を、2つの警察署に理解してもらうのは大変である…それならば、県警本部を動かす方が手っ取り早いということである。

裁判所から令状を取らなければならない司法警察官は、週単位の時間をかけて家宅捜索に至った。暑い季節のことである…死胎であったか死体であったのかの確認はできなかったであろう。したがって、(死胎であっても)死体遺棄に過ぎず、上の子を抱えている女性は短期間で社会に戻ってきた。

児は生きていたのか否か…もう、それは良いだろう。薄幸ともいえる女性が、少しでも幸福になれば良いだろう。

中井祐一郎(川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)[女性を診る]

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