この私のカルテの書き主は、横浜・福富町にあった吉田町医院の北村芳太郎先生(1925-2018)である。横浜一の歓楽街の一角で、老若男女、貧富問わずに診療していた。生後0カ月から通っていた診療所は、そんな街の喧騒とは異なり、温かい空気に包まれた場所であった。ニコニコした顔で「どうしたの~」と診察室に迎い入れ、いつも丁寧に診察してくれた。高熱で倒れた時は往診にも来てくれた。看護婦さん達も自分の成長を見守ってくれた。
子ども心ながら、そんな優しい先生みたいになりたいと思っていた。少し生意気な高校生になり、医者になりたいと相談した時には、本当にうれしそうにアドバイスをくれた。そんな私が医師になろうとする時、先生から想像を絶する半生を告げられた。
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