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真理は2つの中心を持った楕円である[炉辺閑話]

登録日: 2019.01.04 最終更新日: 2026.02.21

高山義浩 (沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科医長)

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先日、ある高齢男性の訪問診療にあたって、カトリック神父による訪問礼拝と御一緒したことがありました。

教会に通えなくなった信者のため、神父が在宅でお祈りをしていると聞いていたので、いずれ御一緒しませんか、とお誘いしていたのです。腎不全が進行していましたが、腎透析は拒否され、看取りへの覚悟ができていた家庭でした。

さて、神父による礼拝が始まったとき、患者さんの背筋がスッと伸びて、見たこともないほど顔が引き締まったことには驚かされました。そもそも、私の前では寝たきりだったはずの男性が、なぜか神父の前では端座位をとっています。いずれも医者には見せぬ姿でした。

なるほど、これが信仰の力か……、と感銘を受けると同時に、この領域に医療は踏み込まないほうがよさそうだ、とも思いました。患者さんが神父に見せる姿と語りが、医者に見せる姿と語りとは違っていて当然です。これをあえて重ね合わせる必要などないでしょう。少しだけ嬉しかったのが、彼の本棚には私と神父の写真が別々に飾られていたことでした。

「真理は2つの中心を持った楕円である」とは、内村鑑三が残した優れた言葉です。どうしても私たちは、中心が1つの真円として構造認知しようとする癖があります。でも、本当は、真理というのは2つの(時に幾つもの)中心を持っているものです。真円だと考えると不条理なことも、楕円だと思えば納得がゆくのですね。そのどちらもが大切な中心なのでしょう。どちらかだけを決めつけても、あるいは中心を1つに寄せようとしても、患者さんは救われません。地域文化の中で支えられている患者さんを診ていると、そんなふうに感じることがあります。

私と神父が語り合い、言わんや連携することで、その違いを埋めようとすることなど意味のないことのように思われました。多職種連携と言えば聞こえはいいですが、患者さんにとっては分けておきたい領域もあるはずです。それぞれの役割を果たしていけばよいのでしょう。それは神父も気づかれているようでした。

私たちは静かに世間話だけをして、それぞれの訪問を終えました。


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