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医の源流を想う [エッセイ]

登録日: 2016.09.08 最終更新日: 2026.02.21

澤 芳樹 (大阪大学医学部長・心臓血管外科教授)

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私の出身の大阪大学医学部は、1838年に緒方洪庵によって大阪の地に開かれた適塾にその源流を求めることができる。

緒方洪庵は当時流行した天然痘を征圧するため種痘を普及させるべく身を挺し、西洋医学の導入に人生を捧げた。除痘館を設立するとともに、全国各藩から600人以上の俊才が集まる適塾を営み、蘭学と医学の普及に専念した。さらに、当時医学の第一人者であるベルリン大学フーフェランド教授の臨床経験を『扶氏経験遺訓』、「扶氏医戒之略」として訳し、日本の医師の倫理観の原点を記した。

しかし残念ながら、洪庵先生は江戸に招かれ、不幸にも1年以内の1863年に亡くなってしまう。時代は風雲急を告げ、1867年に大政奉還が、そして1868年に明治が始まるが、1868年に適塾が閉じられてしまう。そしてこの適塾の崇高な精神と自由闊達な環境は橋本左内、大村益次郎、大鳥圭介や福澤諭吉、長與専齋、高峰譲吉ら多くの英雄志士を輩出し、彼らが歴史を動かして近代日本の基礎を築いたことは、現在大阪大学外国語学部である大阪外国語大学出身の司馬遼太郎さんの『洪庵のたいまつ』や『花神』に、そして我々の先輩である手塚治虫先生の『陽だまりの樹』に描かれている。


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