「助かる可能性はあります。しかし、いったん気管挿管して人工呼吸器につなぐと、外せなくなるかもしれません。その場合は気管切開が必要になります」
救急外来で、このような説明を患者や家族にした経験のある医師もいるのではないだろうか。そう聞けば、「一生、管につながれたくない。それなら挿管しないで下さい」と答える患者や家族がいても不思議ではない。
しかし、「やめられないから、始めない」という考え方が先行すると、本来は人工呼吸管理によって救命できる患者まで、治療の機会を失いかねない。
なぜ日本では、「一度つけた人工呼吸器は外せない」という認識が広がったのだろうか。背景には、1990年代以降に起きた一連の事件がある。
1991年の東海大学病院事件では終末期患者への塩化カリウム投与が、1998年の川崎協同病院事件では気管チューブ抜去後の筋弛緩薬投与が刑事事件となった。2006年の射水市民病院では終末期患者の人工呼吸器が取り外されていたことが大きく報道された。この件では医師らは不起訴処分となったものの、警察による捜査が行われた。
もちろん、これらの行為と、適切な意思決定プロセスを経た生命維持治療の終了とを同じものとして論じることはできない。死期を早めることを意図した薬剤投与と、患者にとっての治療の利益や負担を検討した上で生命維持治療を終了することは、区別して考える必要がある。しかし、こうした事件や報道は医療現場に強い影響を与え、「人工呼吸器を外せば、警察が来るかもしれない」という不安を生んだ。
その時代の医療現場の状況を示すのが、会田薫子氏らの研究である。2006〜07年に救急医35人へインタビューしたところ、末期患者の人工呼吸器の中止を通常の臨床上の選択肢としていた医師は1人もいなかった1)。その背景には、警察の介入や報道、家族との関係、医師自身の心理的障壁に加え、中止によって患者に苦痛を与えることへの懸念もあった。
一方、同時期の欧州17カ国の37の集中治療室(ICU)を対象としたETHICUS研究では、死亡または生命維持治療の制限があった4248例のうち、37.5%で治療が差し控えられ、32.9%では開始済みの治療が中止されていた2)。国による違いはあるものの、欧州のICUでは、生命維持治療の差し控えや中止が、臨床上の選択肢として行われていたことがわかる。
こうした生命維持治療の差し控えや中止をめぐる問題について、日本でも新たな指針が示された。2026年9月、4学会による『救急・集中治療における生命維持治療の終了/差し控えに関する4学会合同ガイドライン』が公表されたのである。
いま問われるべきなのは、人工呼吸器を一度つけたら外せないかどうか、ということだけではない。開始した治療がいまも患者にとって最善なのかということを、患者・家族と医療チームが適切なプロセスを通じて繰り返し考えることができるか、ということではないだろうか。
次稿からは、この新しい4学会合同ガイドラインをもとに、救急・集中治療の現場で私たちが日々直面する「よくある悩み」を1つずつ考えていきたい。
【文献】
1) 会田薫子, 他:日救急医会誌. 2009;20(1):16-30.
2) Sprung CL, et al:JAMA. 2003;290(6):790-7.
石上雄一郎(麻生飯塚病院連携医療・緩和ケア科医長)[緩和ケア][生命維持治療][人工呼吸器]