窓辺に掛けられた一着のワンピースに、娘がそっと触れている。柔らかな光の中で撮られたこの写真を見るたびに、私は母の晩年を思い出す。
2000年、私は都内で家庭医療のクリニックを開業し、在宅医療に奔走していた。そんな折、がんで闘病していた鹿児島の母が全身多発転移を生じているとの知らせを受けた。
「病院での治療はもう受けたくない」。そう告げた母の決断を、在宅医としては尊重すべきだと理解しながらも、一人の息子としては、母の命が刻々と削られる現実に焦りを感じていた。「他人の命を支えながら、最も大切な母の命を支えられていない」。その思いに耐えきれず、私は東京のクリニックを辞め、家族とともに帰郷した。